分析技術が身についている人

 人は誰でも多かれ少なかれ分析力をもっているものである。日常生活でもあまり意識してはいなくても、何らかの分析をすることで自分の行動を決めているはずである。例えば、朝に仕事で家を出る時、今日の天気はどうかが気になるのは当然なので、雨が降るという天気予報であれば、傘をもっていくべきかどうかを決めることになる。
 分析は何のために行うかといえば、自分や会社などの取るべき行動を有利にするための情報を取り出すために行うものであるから、むやみに、分析すればいいというものではない。分析技術が身についている人は、「自分は何をすべきか」ということを常に考えて行動している人なので、与えられた情報をどのような切り口で分析するかをまず考える。
 そして、その分析の結果を踏まえて、さらに不足している情報があれば、情報を補充して別の角度から分析を試みる。情報を収集するコストとメリットを勘案しながら、こうした行程を繰り返すことになるが、コストが上回ると判断すれば、分析が不十分だと感じても情報収集をいったん打ち切り、後は仮説思考で行動を決めるしかない。
 この一連の流れは、通常意識的に行われることはなく、一種の生活の知恵のような形でほぼ無意識のうちに繰り返されているが、こうした思考様式が定式化されている人は、概ね意思決定が早く、結果として取った行動も的を射ていることが多い。こうした能力は一つひとつの行動からは察知することはできないが、他人から頼りにされる存在である。
 逆にいうと、こうした分析力が備わっていない人は、意思決定が確たる根拠に基づいたものではないため、本人が努力していると思っているほど成果があがらない。例えば、わが社の製品が売れないのは「価格が高いからだ」とか、「営業マンの人数が足りないからだ」という結論を、何の分析もすることなし軽々に結論づけてしまう。
 他社では、「価格が高くても売れている」という事実や「営業マンの数が少なくても売れている」という情報を入手し、分析するという思考に欠けていることに気がつかない。分析の手法には様々なものがあるが、これらを手法として覚えれば使いこなせるというものではない。問題解決の手段を探し求めているという姿勢が分析力の向上に繋がっている。