自らリスクのとれる人

 誰しも逆境に立たされることは避けたいと思うのが人情というものであるが、時と場合によっては、避けて通れないこともある。そうした時に、あくまでも体をかわしてリスクから遠ざかろうと懸命になる人もあるが、敢えて、勇猛果敢に挑戦し見事にリスクを解消させてしまう人もある。しかし、これは勇気があるかどうかという問題だけではない。
 リスクをとる人というのは、リスクの内容をよく把握し、これを解消する手段をもちあわせている人と考えるのが妥当である。失敗を恐れず挑戦することを奨励する成功者は多いが、丸腰で無防備に挑戦し玉砕した場合のリスクはそれこそ自分以外に背負う人はいないわけであるから、こうした浪花節めいた誘惑には簡単に乗るわけにはいかない。
 社会人として平穏な暮らしを望むのであれば、少なくとも無謀な挑戦は慎むべきことであり、鳴かず飛ばずの人生を是とする人にもそれなりのステータスがある。しかし、こうしたリスクを避ける人々だけで世の中が成り立っているわけではないことも事実であるとすれば、どんなに安全を願っていても、自らリスクを取らざるを得ない時が必ずある。
 私たちが生まれ育った地方では、「爺さんの孫は三文安い」という諺があった。それはどういう意味かというと、御爺さんが孫を溺愛するあまり、孫の欲しいものは何でも買い与え、嫌がることはなるべくさせないようにガードしてきたため、リスクに弱いひ弱な人間に育ってしまい、結局ひいきの引き倒しになってしまうということのようだ。
 免疫という含蓄のある言葉がある。リスクを先取りすることで後の大きな災いを防止するということを意味しているこの言葉を知らない人はいないと思うが、いざ辛い仕事とか、失敗すれば財産を失ってしまう危険性のある事業は、できれば先送りしようとするため、結果的にリスクが増幅されてしまい、後に誰かがそのツケ払わされることになる。
 自らリスクを取ろうとする人は、リスクを先送りすることにより起こる大きなリスクの恐ろしさを先読みできるという能力の持ち主であるということである。こうした人は、意思決定までのリードタイムも短いのは、その仕事のもつ重要性を熟知しているからに外ならない。こういう人達は、若いうちに自らの意思で免疫つくりに汗を流してきた人である。