いつも決まったことに批判的で、もっと合理的な方法があると主張しながら、一向に何等の改善案を提示しないボヤキ型の社員はどこの組織にも存在する。ただ、こうしたタイプは声高に異論を唱えるので、ある種の存在感があり次第にグループを形成していくので、組織としてはそのまま放置しておくのは好ましいことではない。
そこで、組織としてはそうした異分子的存在の意見に耳を傾けるため、改革プロジェクトなどに参加させると、途端にこれまでの戦闘的な口調が影を潜めてしまい、しまいには黙り込んでしまうという奇妙な行動をとることもある。たぶん、こういう人は反対することに意義があると感じているのか、あるいは自分では何も決められない人なのである。
例えば、会社の賃金制度は不合理で、正当な評価が期待できないので仕事に力が入らないと嘆いている人がいたとする。それでは、正当な評価をするためには、どのように改善すべきかについて協議するために検討会を立ち上げたとする。そして、不合理であるといつも声高に叫んでいる人を検討会のメンバーに参加させるとどうなるだろうか。
本来ならば、ここぞとばかりに革新的な改善案を披歴してもいいはずなのに、発言を促してもまともな意見が出ないばかりか、しまいには黙り込んでしまうことさえある。しかし、議論が煮詰まり具体的な改善案が見えてくると、それに対してはやっぱり不満があると見えて、最初から議論を組み立て直すということは度々経験している。
こういうタイプの人の特徴は、構想力が貧しく論理的思考能力も研かれていないので、感情だけが先走ってしまい、自分の思いを形にして伝えることができない状況から抜け出せないでいるように見える。そうした症状を薄々感じているからこそ、敢えて攻撃的な行動をとっているのであり、実は自己防衛のための手段に過ぎないのである。
人は、経験によってまずまねることを学ぶ。そしてこの学習を通じて自分の中にデータベースを構築していくと同時に、帰納的な手法で経験則を積み上げ、ここから論理的な武装方法を研いていく。そして不動の概念を固めこれを拠り所にするというプロセスを辿るわけであるが、この過程の学習が未成熟であると極端に防衛的行動をとるようになる。
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