戦の極意は闘わずして勝つことであるといわれるが、戦国時代はもっぱら戦う相手のキーマンを調略して寝返らせるというのが常套手段であったが、これらも、相手にある種のメリットを与えるという意味では、説得力のある方法であった。この考え方が原型となり今日のゲーム理論が生まれたという見方もできそうな気がする。
相手を説得し寝返らせることが目的であれば、賄賂を積み増しするというのも有効な手段になり得るかもしれない。しかし、ここではそんな姑息な手段を武器として敵を味方に引き入れることを前提にしたものではなく、あくまでも、ロジカルな手法を駆使し「なるほど」と相手を納得させ、口説き落とす能力をもった人のことを話題にしている。
例えば、わからず屋の上司を目の上のタンコブのように敵視して、自分の仕事が思うようにはかどらないのは、あいつ(上司)のせいだと思い込み、いつも愚痴っている社員はどこの会社にも一人や二人いるものだ。そして、こう言う嘆きを連発する人は、何時しか、自分は成果が上がらなくて当然と思うようになり、以後は会社のお荷物になってしまう。
確かに、こうした上司との取り合わせは不幸なことではあるが、それを嘆いているだけでは何の解決にもならない。この場合、上司が本当にわからず屋であるかどうは別にして、会社が期待している成果を上げることが使命である本人としては、上司を何らかの方法で説得するか、自分に対する対応を改めてもらうよう対策を考えなければならない。
こうした場合、打開策が絶対ないといと決めつけ、何等対策を考えだそうとしないのであれば、上司が配置換えになるのを祈るしかない。現状を打開しようという意思が働かなければ解決の糸口も見つかるはずがないと考え、試行錯誤を繰り返しながら挑戦するかどうかが自分の器量を研くチャンスとなるか、ピンチのままで終わるかどうかの境目である。
共通の目標をもっている二人が、決定的に対立しているという構図は通常考えにくい。目標達成のために協働することが必要であるというメッセージを送り続けるなどのアクションを起こさず、小さな価値観の相違だけを問題にするようでは、第三者からみれば、器が小さいとしか見えない。このことに気づける人が高い評価を受けるのは当然である。
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