結果が出せる社員

 何かを成し遂げようと志して実行に移すということは、必ず結果を出すことをイメージして取り組むということであるから、望ましい結果が出せなければ敗北である。企業経営では特に先行投資が伴うだけに、取組姿勢やプロセスがどんなに素晴らしくても、結果が出せなければ失敗と判定するのが共通のルールであることは疑う余地がない。
 しかし、こうした考え方には賛否両論があり、結果だけではなくプロセスも重視すべきだと主張する社員もいるが、敢えてそうした考え方には組みしないのが結果の出せる社員である。つまり、取組姿勢やプロセスが正しければ、結果は必ず出せるはずだと考える社員と、そうは考えない社員とでは結果の出し方に大きな差が生じてくる。
 結果が出せない社員は、努力するということに関して言えば、努力すること自体が目的なっているため、残業なども多く他の社員よりも汗をかいているという自負があるためか、一生懸命やったのだから、その結果が多少目標を下回ったとしてもしかたがないという自己評価をしてしまう。しかし、競争社会においてはそうした考え方は通用しない。
 以前にも述べた記憶があるが、スポーツの世界では結果がすべてあることが明白であるし、これを観戦しているすべての社会人はこうした評価が妥当だと考えている。例えば、大相撲の世界では、敢闘賞はよく闘った力士を称える賞であるが、勝ちこさなければ受賞候補に上ることさえない。つまり、勝たなければよく闘ったとはだれも評価しない。
 すなわち、怪我や病気で力が出せなかったとしても、そのことを勘案して評価するなどということはない。そうした意味では運、不運を口にするのもタブーであるということだ。自分がもっている才覚とおかれている環境の中で、勝ちパターンをイメージし、戦略を練り実行することで望ましい結果を引き寄せることに繋がると考えるべきである。
 こうしたルールは、何もスポーツ界に限ったことではなく、企業内の活動でも同じことであるのに、勝敗を抜きにしたレクレーション型ないしカントリークラブ型の気楽な組織活動をよしとする社員は大勢存在する。結果が出せる社員は、損な役回りをチャンスと考え、少しの運を大きな運に変えることができる器の大きい社員である。