会社にとって有用な人材とはどういう人のことをいうのだろうか。会社や上司の命令に忠実で、与えられた仕事はテキパキとこなし、上司の覚えもめでたい人物は、会社にとっては「使える」人材と映るであろうし、本人もそうしたポジションにおかれていることに満足しているのであれば、この人は正しく「雇われ上手な人」であるに違いない。
しかし、上からの評判はその通りだったとしても、当の本人からすればかなり自分を犠牲にしていると感じている場合だってあるかもしれない。そして、これまで鬱積してきたストレスが爆発する形で、「使えない」人材に格下げされてしまうかもしれない。こうした場合の評価は、人の属性や能力に対する評価ではなく現状の評価に過ぎない。
つまり、「使える」「使えない」と評価するのは、その人が保有している能力に対する評価ではなく、その能力を目標達成のために発揮し、見事に上司の考えている満足水準に達したかどうかによって決められる。そうすると、「エンプロイヤビリティの高い人」と常に評価されるためには、能力のある人ではなく結果を出せた人ということになる。
当然のことながら、トップの方針が変われば人材に対する評価軸も変わる。というよりも、違った評価軸をもっているからこそトップの座に就くことだってあるわけであるから、その評価軸に沿って建てられた経営方針を受け入れて、実績を上げられる人材が「使える」人材と評価されることになるで、価値観が共有できない場合はその逆の評価になる。
雇用関係はトップの交代によって左右されるものではないが、会社にとって有用な人材像は普遍的なものではないとすれば、「エンプロイヤビリティの高い人」とは全体的な概念ではなく、つぶしがきく柔軟性のある人ということにならざるを得ない。それは、雇い主の価値観の変化を素直に受け入れられる心の準備が常にできている人でなければならない。
このように考えると、「エンプロイヤビリティの高い人」とは、専門的な知識や能力を兼ね備えているだけでは不十分で、人格を含めて「使える」と評価される「雇われ上手な人」であることが、不可欠な条件ということになり、それは、言い方を変えれば、わがままな若旦那に忠誠を誓う「太鼓持ち」と同類のものなのかという疑問を抱かざるを得ない。
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