エンプロイヤビリティとは、「雇用される能力」と訳されているが、これにはどうやら二つの意味が隠されているようだ。一つは、現在雇用されている会社で「使える人間」として重宝される、いわゆる「使い勝手のいい人間」のことであり、もう一つは、いざという時にどんな仕事でも、無難にこなせる多様で柔軟な能力を備えた人のことである。
いずれにしても、この言葉は「雇われ上手」、あるいは「滅私奉公」というイメージ(私の偏見)でみてしまうせいか、あまり好きにはなれない。もちろん、雇用するという立場からすれば、使い勝手がいいというのは絶対条件であるのかもしれないが、企業の発展に寄与する人材という見方をすれば、「使い勝手」は条件の一つに過ぎない。
昔の諺に、「良薬は口に苦がし」というのがあったが、この厳しい経営環境の中で単に経営者の命令に服従するだけでは戦力になる人材とは言い難い。場合によっては経営者の暴走に異を唱えるぐらいの気骨がある人間の方が、会社にとっては使える人物であることもあるはずである。エンプロイヤビリティとはこの辺も含めての言葉なのだろうか。
いずれにしても、「使える」「使えない」を判定する基準は、経営者や上司が一方的に決めるものであるから、例えそれが偏見に満ちたものであったとしても、対等な立場で議論し、「使える人」であることを認めさせることはほとんど不可能に近い。こうした状況下において、メガネに叶った人をエンプロイヤビリティがあると判定していいものだろうか。
もしも、そうだとすると、社長の方針に忠実であった社員が、社会から突然バッシング受けて責任を取らされるなどということはあり得ないことになる。一般的にいえば。いわゆる優秀な社員と称される人ほど出世をし、責任あるポストを与えられるが、会社の利益と個人の利益、社会の利益の調整がつきにくい立場に立たされることもある。
こうした現状を考えると、エンプロイヤビリティの高い人というのは、必ずしも、経営者や上司に重宝がられる人であることを意味していない。それどころか、企業内における自分の位置関係を常に確認しながら、企業がモラルハザードに陥らないよう冷静に見つめる能力も兼ね備えていなければ、企業の論理に埋没してしまう危険性がある。
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