退職金規程の見直し

 企業が退職金規程の見直しを考えるのはどんな時かといえば、経営状態が悪化して、現行の規定に基づいた退職金が支払えないという危機感を持った時である。法律的な見解からいえば、従業員にとって不利益となる改定は許されないといことになるが、現実に退職金規定の見直しや場合によっては制度そのものを廃止する企業もある。
 ただし、このような場合は、例え制度として改定ないし廃止が実行されても、従業員にとって既得権を奪われたと感じるものであれば、会社は旧来の規定に基づいて退職金を支給する義務がある。つまり、従業員にとって退職金は、既に住宅ローンの返済原資として見込んでいるかもしれないし、老後の生活設計のなかに何らかの形で組み込まれている。
 一方、会社とすれば、経営が立ち行かなくなれば退職金どころか毎月の賃金さえ支払うことができないという内実があるかもしれない。こうした究極の状況を法的な権利義務で解決しようとしても無理であることは自明の理である。もっとも、法律の解釈にも幅があり、退職金規程を見直すことの合理性の存在を幾つか具体的に示してはいる。
 しかし、極端な場合、「退職金制度の廃止に同意できないのであれば、現行の制度の下で退職金を支払う」という、なかば脅迫に近い形で、退職と退職金制度廃止の二者卓越の選択を迫るという荒業を用いる会社もある。こうしたやり方も、実は合理的ではないやり方だとは断じきれない場合もあり、どの視点で合理性を判断するかは難しい。
 現在多くの企業で問題になっている退職金の積み立て不足を考えると、いつかは大きな社会問題に発展する危険性も否定できない。何しろ、まじめに積み立ててきた企業でさえも、預け入れた先が資金の運用に失敗したという一言で片づけられるようでは、むしろ退職金制度などない方がましだと考える経営者や労働者もあるかもしれない。
 退職金制度は、元々賃金後払いや老後の生活保障、長年の功労に報いるなどの性格があるといわれてきたが、経済環境ばかりではなく、社会環境の変化が予想困難な現代社会では、全てが空手形に終わってしまうことだってあり得る。自社の経営状態を見極める責任は、経営者ばかりではなく、従業員の側にも求められていると考えなければならない。