配分によるコンフリクトの解消は最後の手段

 配分というとある基準に基づいて行われるというイメージが強いが、実態としてはあまり合理的な基準というものを示さないで、権力を背景に半ば強制的に配分を決めるという方法がよく採られる。交換や創造により解決することができない場合、最後の手段として配分による解決を検討すべきものであるのに、いきなり配分をもちだすのは好ましくない。
 配分による解決が如何にも不合理であると感じるのは、裁判所で行われる調停である。ここでは、相対立する主張を聞き届けて、双方の満足水準を推し量って調停案を提示するのが本来の機能であるにもかかわらず、そうした意思は殆ど働いておらず、双方の主張を足して2で割る解決が大勢を占めているため、多くの場合、双方に不満が残ることになる。
 行政などが行う配分も、かなり乱暴であると感じることは多いが、それでも、何らかの配分基準が示されているので納得せざるを得ないが、不合理だと感じることは多々あるように思われる。いずれにしても、決着をつけるという当面の目標も大事であるが、力ずくの解決では、将来に火種を先送りすることになるので注意しなければならない。
 ファシリテーターは、コンフリクトを機械的に処理する役割ではなく、妥協は最後の手段であることを肝に命じなければならない。不本意な妥協は、協働関係にひびが入り、チームとしての活動に支障きたすことになる。配分によりコンフリクトを解消しようとする場合は、他の方策を試みた後でなければ、安易に採用してはならない方法である。
 そして、配分を選択する場合は、個人の意思とは無関係な客観的な基準を使うことである。例えば、身長や体重、所有面積の大きさ、集団の構成人数、統計データ、先例、習慣その他により、双方がなるほどと思える基準を用いることにより、コンフリクトはかなり和らぐはずである。そして、その基準を探す作業を双方で議論するよう誘導する。
 その際肝心なことは、構成メンバーが自分の意見を重視しているとファシリテーターが感じていることを実感できるように、議場の雰囲気を作り上げることである。自分の意見が尊重されていると実感出来れば、最終的に別の基準に決まったとしても、感情的に反対の立場を強調することは無くなり、協調的雰囲気の中て妥協案が採択されるようになる。