潜在能力があっても、それが発揮されず成果に結びつかなければ意味がない。しかし、多少屁理屈を言わせてもらえば、潜在能力がなければ発揮されるはずがないとも言えるので、やはり潜在能力を保有しているということは、発揮能力の源泉になっているともいえるのではないだろうか。そう考えると、発揮能力とは何だろうという疑問が湧いてくる。
一般的な考え方からすれば、発揮能力とは潜在能力を何らかの動機により発揮したことが結果を生んだものであり、それ自体能力と呼ぶのは相応しくないようにも思える。現実にその道で名を成した人たちは、自分は潜在能力が十分だったとか、発揮能力が優れていたと自己分析している人は少ないように思われるからである。
職能資格制度では、潜在能力と積極性を組み合わせて成果を測定しているが、これがあまり機能していないという反省から、コンピテンシーという考え方が生まれたとすれば、どこにその違いがあるかを明確に認識することが先決であるように思われる。この点が曖昧なまま、制度の導入ありきでは職能資格制度の欠点をカバーすることはできない。
そもそもコンピテンシーという考え方が生まれたのは、経営戦略を人事戦略の面から展開するための手法であるから、自社の打ち出した経営戦略を具現化するに相応しい人材を確保することを目的として導入されるものである。つまり、経営戦略を遂行するのは、人であるというごくシンプルな発想が原点である点に着目したい。
これまでの日本の企業は、経営戦略はトップの手で企画され、人事制度はこれと別建てで組み立てられていることが常であったため、経営戦略を遂行するために人材を養成するという仕組みであった。そのため、折角潜在能力をもっていても、動機づけが不十分な場合は成果に結びつかないという現象が生じたという見方もあるほどである。
経営戦略を最初に打ち出し、これを遂行するためにはどのような能力が必要で、その仕事に情熱を傾けられるかを、経営者と従業員が確かめ合うという場面にお目にかかることはまずない。そのためか、他の社員から優秀だと評判の高い人よりも、水を得た魚のように行動する社員の方が高業績を上げているといった現象はよくある。
コメント