知識社会における経営戦略

 ものづくりが経営戦略の中心に据えられていた工業社会においては、科学技術が大きく発展し、生み出された製品は文明の利器として大いにもてはやされたため、企業の行動は、物理的に優れた製品を作ることに重点が置かれるようになっていった。そのため、ものづくり組織は機械という考え方が定着し、長い間この価値観が企業経営を支配してきた。
 このことが効を奏して高度商品化社会の到来を招くと、知識が付加価値をもつ知識社会へと変貌を遂げていった。ものづくりを主体とした企業が姿を消したわけではないが、消費者のウオンツがモノ的商品からよりソフトな価値へと変化していくなか、相変わらず、「いいモノを作れば売れる」という神話に取りつかれた企業は行き場を失った。
 このような企業自身の身の処し方もさることながら、法整備などの遅れもあいまって、経営者と株主の間の位置関係も一層ぎくしゃくとしたものになっていった。企業は誰のものかといった議論は日増しに激しくなる一方で、株主は以前にも増した所有者意識を強め、所有と経営のせめぎ合いは激化の一途をたどっている。
 法律論ないし組織の成り立ちからいえば、確かに会社は株主のものであるというべきなのだろうが、株主総会の意思決定を待って会社の方針を決めるというのでは、市場変化の激しい知識社会ではもはや機能しなくなってしまった。株主は産みの親ではあっても育ての親ではなくなっていることを自覚しなければ企業という組織は疲弊してしまう。
 もちろん、親である株主の意見は尊重しなければならないのは当然のことであるが、親の威厳に沿うことだけが親孝行ではなく、場合によっては組織自身の理念を貫き通すことの方が、本当の親孝行であるということだってあるはずだ。
 子供である組織は、日々の学習を通じて成長し続け、進化を遂げることこそ親の願いであるはずなのに、まるで成長をとがめるように振舞うのは感心できかねる。企業という社会的存在として認知を受けた以上、ステークホルダーとの良好な関係づくりを遠巻きに見守る姿勢を示すことが、知識社会における株主の使命でもある。