発想力と仮説力は似て非なるもの

 発想力を育て上げていくのは過去の経験であり、過去情報の分析とその応用というサイクルである。これはちょうど仮説検証サイクルと対応するもので、仮説力と発想力は同じものではないにしても、かなりの要素が共通しているように思われるが、発想力が貧しければ、筋のいい仮説は生まれないという関係にあるのも事実である。
 仮説を立てるということは、課題解決に向けて意欲をもっているということであるから、発想の起点を明確に捉えていなければ、方向違いの仮説を立ててしまうことにもなる。課題をある要因で分解してみることで、各要因間の因果関係を整理し、その因果の連鎖を捉えることができれば、筋いい仮説が生まれる可能性も高まる。
 別の言い方をすれば、フレームワークで課題を整理し、発想の起点を明確にすることで仮説を立てる方向性が決まってくるというわけである。といっても、これは結構難しいことで、発想力は地道な作業を繰り返すだけでは身につくものではなく、閃きとか気づきとか多少現実的ではない、別次元の能力というイメージもある。
 しかし、発想力とても生まれつきのものとは言い切れないとすれば、過去の経験を丁寧に分析し、学習結果を整理しておくことで土壌が育つと考えるのが自然である。いわゆる発想力があると評されている人は、経験豊かな人であるというのはこのことを示しているもので、素質だけでは語れないのが発想力である。
 いずれにしてもにわか作りでは、発想力を身につけることは難しいので、取りあえずは、発想の原点を明確にする習慣を身につけ、仮説を立ててみることに挑戦してみることである。そして仮説検証サイクルを回すことができれば、少なくとも仮説力は高まるし、発想力にもかなり影響を与えることは間違いないように思われる。
 意欲の差こそあれ、現状の課題を解決しあるべき姿に近づきたいと思うのは、特別な地位にある人に限ったことではなく、それぞれが抱いている願望である以上、販売戦略であれ、原価削減計画であれ、仮説思考で取り組んでみる価値があると認識すべきである。こうした思考が育っていないと嘆く前に、その組織風土の改革に仮説思考で挑んでみたい。