仮説の原点は発想力

 課題解決のために仮説を立てることを前提にすれば、課題が生じた背景をフレームで捉えることが賢明である。その上で課題を解決するための仮説を立てることになるが、発想が貧しければ、筋のいい仮説は立てられない。それでは発想力はどのようにして身につけるのかというという議論になってしまうことにもなる。
 その議論はさておき、仮説力にしても発想力にしても、過去の経験に学ぶところが大きいことは言うまでもない。しかし、人間が経験する範囲は極めて限定的であるため、他人の経験を活用するという方法を採ることで、実際に経験したことの何百倍もの経験に匹敵するような発想力が身につく可能性が広がるものと思われる。
 仮説思考とは、過去情報を加工分析して未来情報を予測して仮設定するという思考方法なので、過去の事象の解釈を誤ると仮説の精度が著しく低くなることもある。例えば、過去の売上の状況から将来の伸びを予測するといった場合など、市場環境の変化や商品のライフサイクルを考慮するとあまり役に立たないということはよくある。
 しかし、問題をどのようなフレームで捉えているかによって、過去情報を解釈する視点も異なってくるので、役に立たないと決めつけるのは早計であり、端的にいえば未来に役立つ情報といえば過去情報しかないという現実に突き当たる。反省や検証が必要な理由もその辺にある分けで、発想力が貧しいと筋のいい仮説を立てることができなくなる。
 「反省するだけなら猿でもできる」という言葉があったが、「反省」と「後悔」とは本質的に異なるもので、過去を振り返り、今後の身の処し方を考えるのが反省である。そうした意味では、他人の行動に着目しこれを見習うというのも一種の反省であり、ベンチマークなどという経営手法もこうした考え方によるものと考えられる。
 また、反省は今後に生かされてこそ反省の価値があるわけであるから、二度と同じ失敗をしないように対策を講じる場合の糧となるべきものである。すなわち、事故防止対策やリスク管理などは、こうした発想から方策が練られる分けで、後悔しただけでは仮説の原点である発想力の向上には結びつかないはずである。