突き止めた因果関係をデータベース化する

 人間は過去に経験した事象を蓄積し、活用することで心の中にモデルを作りながら成長して行く。そして、そのモデルを更なる経験によって更新し、やがて概念化するというプロセスを辿り、人生観や価値観、あるいは行動規範に育て上げるが、「経験」するチャンスやその質量によって、データベースの質量にも違いが生じるものと思われる。
 しかし、人の人生観はそれぞれで、「経験」も様々であるから、経験の質量を測定し比較することなど到底不可能であるが、広くて浅い経験と狭くて深い経験による違いというようなものを、ごく漠然とではあるが感じることはある。例えば、ノーベル平和賞受賞者と科学賞の受賞者では、明らかに経験の中身が違っているように思われる。
 どちらが優れているという話ではなく、経験(体験)の質量の違いをどのように活用し、因果関係を構築してきたかによって、世の中への貢献の仕方が異なる。もちろん、もって生まれた性格や頭脳による相違も大きいのは当然だが、仮説検証サイクルの回し方(あるいは回り方)によっても大きな違いが生じることも事実である。
 経験するということは、五感である「見る」「聞く」「かぐ」「触れる」「味わう」ことを言うのだとすれば、「目」「耳」「鼻」「皮膚」「舌」の機能にどれだけ刺激を与えたかということになるわけであるが、「経験」とはもっと奥深いものをさすような気がする。例えば、「みる」といっても「見る」「観る」「診る」「視る」「看る」などたくさんの意味がある。
 その他の五感についても同じことが言えると思うのだが、大きく分けても「リサーチ」と「ウオンツ」だけでも意味が異なる。例えば、バードウオッチングとマーケティングリサーチでは、感覚的イメージも目的イメージも行動も異なる。つまり、情報収集することの目的の違いにより感覚の使い分けをしていることになる。
 仮説思考を研ぎ澄ますには、過去に経験した事象を活用するという意味においては同じであっても、因果が関係を構築する意識をもって挑まなければ、仮説の精度に大きな差が出てくる。常日頃から、因果関係を構築しておくことで、「一般化」されていれば、ある事象について仮説を立てる場合、筋のいい仮説が立てられる可能性が高い。