因果関係を突き止めるための仮説

 仮説思考の利点は、それ自体論理思考が含まれていることである。論理的なアプローチがなく仮説を立てたとすれば、それは単なるヤマカンに過ぎないが、検証サイクルを回すことで、ある種の気づきが生じれば仮説として甦ることもあり得るという意味で、まず、仮説を立ててみることをこれまで推奨してきたわけである。
 しかし、何のために仮説を立てる必要があるのかといえば、問題を解決するためであるはずなので、問題の解決のために有効な仮説であれば、それに越したことはない。そのためには、あるべき姿と現状のギャップを問題と位置づけ、問題が生じたメカニズムを分析するための仮説を立てるというプロセスを辿ることになる。
 あまり情報を吟味せずに、取りあえず仮説を立てることに意義あるという解説の裏には、検証サイクルが回り始めれば、結構筋のいい仮説に近づくことが期待できるという意味があるからであるが、時間の制約を考えると、よって立つ根拠が明確であることは望ましいことは確かである。つまり、問題の捉え方が仮説を立てる場合の出発点になる。
 例えば、今季はある商品の売上が減少しているので、来季はこれを挽回しなければならないという問題が投げかけられたとすると、売上が低下した原因をまず捉えなければ、売上の回復のために立てる仮説は検証する価値もないことになるかもしれない。仮説は現状を打開するためのものであるとはいえ、問題の意味を理解することが先決である。
 すなわち、仮説を立てる場合の大前提となるのが、どうして現状が生じたのかということを読み解くための仮説と、それを解決するためにはどのようにすればよいのかという仮説があることになる。ここを区別することなしに仮説を乱立させても、仮説思考本来の機能は半減することになるのだが、意外にこのタイプは多いように思われる。
 売上の減少の例でいうならば、商品のライフサイクルが成熟期を過ぎたのか、強力な代替品が登場したのか、景気の低迷や異常気象などによるものか、それともそれ以外の外的要因によるものかを見極めなければ、販売促進について仮説を立てたとしても検証サイクルを回しはじめる以前に、その仮説は棄却されてしまうのが落ちである。