売上高の低下の原因を追及する際の仮説、新製品を開発するためにアイディアを探求する場合の仮説なども、ある種の問題解決を目指してのことであるから、あるべき姿と現状のギャップ埋めようとする試みと捉えることができる。最初の仮説は「何故だろう?」と疑問をもち、その素朴な問いかけに応える形で仮説が生まれる。
新製品の開発でも、「何かヒット商品を生み出さなければ」という漠然とした動機からアイディアが浮かぶこともあるが、そうした場合でも、問題を解決したいという強い意識が根底あり、アイディアを求め続けていたからこそ、偶然の閃きを誘発したのであり、問題を心の中に抱えていなければ、全く偶然にアイディアが浮かぶことは少ないのではないか。
「必要は発明の母である」などといわれるように、自分や他人が不自由に感じていることを解決してやることはできないものかと考えることが、アイディアを生み出す原動力となっていることはよくある。「蛇腹の付いたストロー」や「音の少ない洗濯機」「携帯電話」なども問題解決の手段として登場したことは間違いない。
これら製品開発に共通する取組姿勢は、常に解決したい問題を抱えていることである。逆にいうと、解決したい問題を常に意識していれば、それが素材であったり部品だったりしても、そのありかに関する情報に近づく努力をするのは当然のことである。こうした姿勢や行動が、アイディアを実らせる原動力なるわけである。
このスタンスにブレがなければ、「小さな気づき」から仮説を生み出すのはそう難しいことではない。何のためにアイディアが必要であるかを意識していれば、「反対側の立場で考える」「全く正反対に考える」「ゼロベースで考える」といった発想も自然発想的に生まれるであろうし、ものごとや人の行動を良く観察する必要性も感じてくる。
刑事ドラマでよく出てくるセリフに「現場百回」というのがある。使い古された言葉ではあるが、最初に現場検証をした時には、事件解決に必要と思われる一般的な証拠品には目がいくものの、事件解決のために決定的な証拠は何なのかは認識できない。しかし、捜査が進むにつれ、何が決定的な遺留品になるかが絞り込める。これが仮説思考の原点である。
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