仮説検証サイクルを回すことにより、仮説の精度は高まってくることは確かであるが、検証のしかたによって新しい仮説の良し悪しが決まってくる。悪い仮説は現状における問題点を列挙しているだけで、改善策を講じるための示唆にかけている。何のために仮説を立てるのかという意識が欠けているためサイクルが空回りしてしまうのである。
これまで良く経験したことで言うと、ヘッドハンティングされた幹部社員が、給与規定の企画策定を命じられたという場面でよく見かけられる。社長からは革新的な考え方で、成果反映型の規定を作るように指示されたため、力を込めて企画し提案したところ、社長からはあまり評価されず、再検討するようにと差し戻されてしまった。
始めのうちは、社長の期待に応えようと検討を重ねるが一向にゴーサインがでず、しまいには社長の意図が図り兼ねることに困惑しているとして相談を持ちかけられる。こうした場合、社長の「任せる」という言葉の意味を取り違えてしまっていることが第一の間違えである。つまり、「何をどう任せられたのか」について、仮説を立てなかったことである。
第二には、現状の給与規定がどのような点で不合理なのかを仮説思考で考えていないことである。この2点を踏まえて仮説を立てていれば、検証サイクルを回すことにより、どんどん精度が高まってくるため、社長の要求水準も次第に明らかになってくるはずであるから、最終的に妥当な給与規定が提案できることになる。
このように悪い仮説は、問題点を列挙することに終始し、改善方向が見えにくいものになってしまうため、問題が生じている原因を掘り下げるものになっていない。ここに新しい仮説が唐突に積み上げられてしまうと、アクションとしての検証サイクルにブレーキがかかってしまい、堂々巡りを繰り返してしまうようになる。
仮説を思いつくコツは、堅苦しく考えることではないとは言いながら、仮説が何のために立てられ、どのように検証サイクルを回すかが、予め組み込まれていることが最小限度の条件ということになる。仮説とは問題を解決するために立てられるものであり、その解決に向かって検証サイクルを回すことが、解決の糸口を掴むことなのである。
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