仮説思考とは精度を犠牲にしても先を読むことの重要性が認識される場合に有効な思考である。したがって、どちらが優れているということを詮索しても意味がなく、これら2つの思考はお互いに補完関係にあるというべきである。現実に物事を考える場合に、まず、仮説思考である結果を導き出し、これを論理的思考により精度を高めていく。
論理的思考はそれ自体ロジカルなわけであるから、これまで明らかになっている事実やデータを積み上げて一つの結論に辿りつくというプロセスによって組み立てられるので、真理を追究するためには不可欠なアプローチである。これに対して仮説思考は、過去のデータや真実を出発点にするという意味においては同じでも、結論の精度は低い。
こうした理由からか、「それは仮説に過ぎない」などと揶揄され、仮説思考を否定ないし軽んじる向きも結構多い。しかし、そうした人たちが論理的思考で物事を考えているかといえば、必ずしもそうとは言えないように思われる。時間的制約がある意思決定においては、先送りが許されないことを熟知していながら結論を出さない。
ある仮説に基づいて意思決定した結果、誤った意思決定であったことが明らかになると、鬼の首でも獲ったように勝ち誇り、「だから言わないことではない」などと、自分の意見が正しかったことを強調する。また、その仮説が正しかったことか明らかになると、「自分は始めからそうなることを知っていた」などと仮説にただ乗りする。
組織人としては、こういうタイプの人が出世をするという現実はあるものの、できない理由や過去に拘り過ぎる人は単に仮説思考が不足しているだけで、リーダーとしては不適格といざるを得ない。「根拠が薄い」「データが少ない」「前例がない」「リスクが高い」「失敗したらどうするか」などを多発する人はこのタイプである。
一方、仕事が早くある程度のリスクは覚悟の上で結論を出す人は、大胆な仮説を立てて、行動に移すことで仮説の精度を高めていく。こうした事実を客観的に眺めると、仮説思考と論理思考は、別のものというよりはお互いに補完的なものであり、仮説思考に優れている人は、もともと、論理思考も備わっている人であると見るべきなのかもしれない。
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