まずは営業マンの動機づけ

 人がどういうときに動機づけられるのかというメカニズムは、本当のところ解明されていないような気がする。しかし、明らかに動機というものはあり、犯罪などでも「動機」が明確にならなければ、犯行を立証したことにはならないというのが常識となっているように、動機が行動の原点にあることが結果(成果)を説明するのに便利である。
 こんなに重要視される動機だが、この質量を客観的に測定することは不可能であり、結果(成果)から逆に推定をして動機の強さを測るしかない。そうした意味では、営業マンがどれほど動機づけられて行動したかは、成果でしか測定できないという限界があるわけだが、これが隠れ蓑になっている場合もあるから厄介である。
 すなわち、営業マンがどれだけ動機づけられて営業活動に専念したかで、全ての成果を説明できるのであれば、いくら叱咤激励を繰り返しても、営業マンを動機づけることにならなければ意味がないことになる。上司と部下の関係ではこうした取り合わせはよくあることで、この場合一体どちらの責任が重いのであろうか。
 隠れ蓑とはこのことなのである。動機づけのメカニズムが解明されていない以上、部下の営業に対する入れ込み(動機)が弱いのは、上司の指導に問題があるのか、それとも本人資質のせいなのか、はたまた性格の相違によるものかは判別しにくい。しかも、両者の言い分はどちらも至極筋が通っているからなお始末が悪い。
 企業経営上からいえば、両者の対決に付き合っている暇はないので、とにかく成果を求めるというのも当然であるとすれば、なかば強制的に誘導するしかないことは論を待たない。この場合の誘引は「打算」であると考えられるから、これを機軸にして動機づけに有効であると思われる誘引を積み上げる以外ない。
 もちろん、動機づけが全てではないし、個人能力も成果を左右するのは当然であるが、「お金」という共通道具を曲がりなりにも認知している社会では、金銭を尺度として動機づけ要因を測定するのはそう乱暴な話ではない。事実、この尺度で人間の価値を測ることにわれわれは消極的ではあるが賛同してきたことを認めなければならない。