概念化能力はリーダーの必須条件

 リーダーシップとは日常よく使われている割には意味不明なところがあるが、言葉の響きからすると、組織の目標を達成するために、率先してメンバーを先導するというニュアンスが強いように思われる。しかし、使われる状況あるいは立場によっても意味がかなり異なるため、かなりアバウトな使い方を容認されている。
 例えば、野球チームなどの監督について、リーダーシップがあるなどという使い方はしない。この場合はやはり指導力とか采配という表現をするのが普通であり、リーダーシップという言葉が使われるのは、「キャプテンのリーダーシップ」といったように、組織におけるフォーマルな位置が同等の場合に馴染むような気がする。
 それでは、企業経営の現場ではどのように扱われているのだろうか。一番目立つ使い方は、「管理者はマネージャーではなくリーダーになれ」などという使い方だ。上の野球チームの場合の使い方からすると、管理者は上司であるから、リーダーと呼ぶのは多少失礼な気もする。それにもかかわらずリーダーシップを期待するのは何故なのか。
 この辺の定義があやふやであるため、ある管理者はマネージャーであると自負し、部下の行動を指揮監督することが中核業務であると思いこんでいるが、別の管理者は部門の目標を達成するためには、管理者自らがリーダーシップを発揮するのが当然と考えている。もしも、トップが後者の考え方に立っているとしたらどうだろうか。
 マネージャー的管理者はトップの目から見れば、管理者のとしての資質を疑っているに違いない。現実にはこうしたミスマッチが結構多く、目標管理制度や成果主義給与制度の導入を大きく妨げているようだ。すなわち、成果で評価するとマネージャー的管理者は成果と給与のアンバランスが最悪の状態にあることになる。
 野球チームの監督はプレーヤーではないので、リーダーシップが足りないなどという表現はしないが、概念化能力に長けている必要性は強く求められるであろう。企業組織の管理者は以前のようなマネージャーとしての役割は薄くなり、自らもプレーヤーとしてリーダーシップを発揮しなければ、組織における存在感は薄れることは確かである。