概念化能力を身につけるには?その1

 概念化能力は経験と学習がなければ身につくものではないが、何を経験し何を学習するかによって概念化能力の価値が決まるのであるから、当社の使命を実現する過程での経験・学習でなければ意味がないことになる。つまり、当社の使命をどの程度理解でき具体的にイメージできたかで概念化能力の質が評価される。
 不確実な外部環境のなかから、自社あるいは自職場の目的に沿った行動を明確にするための情報を拾い出し、内部資源を最大限に活用するために、その情報の価値を即断できる既判力が概念化能力の威力であるともいえるのだが、中間管理職はそうした能力を身につける努力を惜しんでいるのかと疑いたくなるような場面によく遭遇する。
 例えば、企業再生のため計画策定の要請を受けて訪問した企業で、役員同士が対立しどちらも譲らないという光景を目にした。企業が再生を目指しているという場合、過去の経緯はともかく再生という共通目的がはっきりしているわけであるから、方法論としての選択肢はそう多くはないはずであるのに、小田原評定が延々と繰り返される。
 どちらが正論であるかはこの際、さほど問題ではないはずなのに責任を認めようとしないのである。第三者から見れば数少ない役員の中に責任者がいることは疑う余地がないのに、誰もが被害者であることを主張しあっている。原因と結果の関係で説明すれば、適正な管理がなされていなかったために生じた現象であることは間違いない。
 こうしたまとまりのなさを金融機関を始めとする債権者が、どのように評価するだろうかということに思いを巡らすことなど全くない。経営不振に陥った原因は様々であるとは言っても、管理者の概念化能力が欠如していたことが、大きな原因となっていたことは間違い。つまり職場管理に失敗したことは厳然たる事実なのである。
 職場のメンバーに聞いて見ると、案の定と思うような答えが返ってくる。要するに管理者の打ち出す方針が支離滅裂で、統合化された管理になっていなかったことが原因であるというのだ。経営理念や職場の使命を理解しないまま、単に経験を積み重ねても、学習効果は蓄積されないので、概念化能力が身につかなかったのである。