情報選択眼を磨く

 情報とは自分あるいは組織が何を目指しているかによってその価値が異なる。情報化社会といわれる今日では、種々雑多な情報は世の中にあふれている。しかし、その情報の中から、自分の行動目的に沿った価値ある情報を見つけ出し、これを磨き上げて有用な情報に仕立て直すためには、相当な選択眼が必要であることは確かである。
 それでは情報選択眼はどのようにして身につくのだろうか。中には天才的な能力を持っている人もいるかもしれないが、一般的に言って、有用な情報を取り出してかこうすることができるのは、先天的な能力の差よりも、何が必要なのかを常に頭に描いている人であるように思われる。つまり、何時も必要な情報を探している人ということになる。
 最も、必要な情報を探していれば必ず、良い情報にたどり着けるというものでもないこともわれわれは経験的に認識している。それは、捜し方の技術だったり、情報のありかに対する着眼点であることもあるかもしれない。しかし、これらは決して十分条件ではないとすれば、情報選択眼とはある枠組みの中での発揮能力であるといえそうである。
 ここでもう一つ重要なことは、情報とは時間との戦いの中でその価値が決まるのであり、鮮度が落ちるとたちまち価値が劣化する。こうした性質を踏まえた上で情報選択眼を捉えるという条件も加味すれば、個人の能力や技術では説明がつかないことは明らかである。これはちょうど発明家が、今一歩のところで停滞している状態と似ている。
 すなわち、情報選択眼の優れている人とは、能力よりも何をやりたいかをはっきり認識している人、その情報を入手すればどのように意思決定ができ、それによってどのような新たな価値を創造できるかを常にイメージしている人である。つまり、価値創造の設計図を頭の中に描いているということと深い相関があるに違いない。
 企業経営者や職場の管理者について言えば、そうした価値創造の設計図に基づいて、実際の企業経営や職場を完成させたいと願っているわけである。こうした枠組みに照らし合わせて、情報を取捨選択するため、無駄な動きがないように見えるのである。別の言い方をすれば、思い切って棄てることの重大さをよく認識している人でもある。