技法による問題解決の限界

 問題解決といえば、何が問題なのかという原点からスタートしなければ解決について議論しても始まらない。「問題発見と解決」について論述した際、「問題」とは「あるべき姿」と「現状」のギャップだと定義した覚えがある。ここでもこの前提にしたがって議論を進めることにすると、問題解決のプロセスは以下のようになるであろう。
 すなわち、?問題の定義、?問題の分析、?事実・情報の収集、?解決策の検討、?最良の解決策の選択、?実行計画などである。これらのプロセスはいずれも問題解決の技法に関するものであるから、機械的に手順を踏んだだけでは実際の解決には至らない。ここで欠けているのは、「あるべき姿」の妥当性についての判断である。
 あるべき姿とは経営戦略の根幹を成すもので、固定的に定義づけられているものではないから、経営理念と市場との関係を的確に判断して決めなければならない。つまり、総合判断力によって決まるものであるが、これとても、一仮説に過ぎないという側面を持っているわけであるから、経営者あるいは管理者の判断力に依存することになる。
 目標管理制度はある与えられた枠組みの中で、目標を設定してこれを達成するための組織的行動と位置づけられるから、枠組みとなる仮設が変われば、目標も変える必要があることは当然のことである。したがって、目標管理制度を運用するための技法では解決できない問題が背後に潜んでいる。このことを管理者は認識しておかなければならない。
 しかし、判断力といっても人それぞれで、個人の枠組み(判断基準)が異なるので、どのような判断をする人を判断力のある人と判定する尺度もない。こうした場合、唯一の拠り所となるのはやはり経営理念である。通常この経営理念によって染め上げられた枠組みのことを企業文化と呼んでいるといってよいであろう。
 企業にとって有能な管理者とは、長年にわたって築き上げられた企業文化をバックボーンにし、現実の職場において何が問題か、それはどうすれば解決できるのかという、試行錯誤を続けることで仕事を次第に概念化していく。ここで培われた判断力こそが、その企業にとっての価値ある判断力と評されるようになるのである。