部下の失敗対してどの程度寛大であるべきか

 部下の自己統制力に期待し目標を自己管理させるかという問題は、管理者とすればそう簡単に線引きできるものではない。部下に自己統制を期待する以上、あまり細かいことに干渉しないようにするのは当然としても、それが全社的な損失を招き、管理者自身の責任範囲を超えるような場合だってありえるからである。
 そうすると、どの程度の誤りであれば許せるのかが明確でなければ、上司にとっても部下にとっても関心が高いのは当然である。このことについてはあまり多くは触れられてこなかったように思われるが、ごく一般的にいうならば、許容できる程度の誤りとはおよそ次のようなものであると言われているようである。
 「誰でも犯すような誤り」「達成した成果に比べて誤りの修復コストが小さい誤り」「管理者の責任範囲において始末できる程度の誤り」などである。原則としては的を射ていると思われるが、実際の現場でこれを適用するとなると、管理者の考え方や誤りの影響の予測によってかなり違った捉えかたにならざるを得ない。
 例えば、完璧主義者の管理者がよく陥ってしまうのは、到底許容できる誤りではないのに、上司としてのキャリアに汚点がつくことをおそれ、自分の裁量で処理しよう考えるあまり、上への報告を故意に怠ってしまった結果、全社的損失が拡大してしまう。有能であるために犯してしまう過ちであるともいえるかもしれない。
 また、各種団体でよく起こる横領事件などは、部下の自己統制能力を過大評価し、任せるというよりは放任に近い状態にあったことが窺われる。いずれの誤りも、任せることに対する本旨を逸脱しているとはいいながら、実際に起こり得ることだけに、これをルール化することはかなり難しいことであることは確かである。
 これらの過ちを最小限にとどめるためにはどうすべきか、という現実論で言えば、抜本的な解決策はないとしても、「管理」と「干渉」を想定される事象を列挙してルール化しておくことは最小限必要である。管理とは職権に基づいて報告を求めるものであり、干渉とは裏づけのない圧力に過ぎないことを確認しておくべきである。