部下はなぜ期待水準に伸びていないのか

 企業に限らずどの組織でも任せることの難しさは話題になっているようだ。任せなければ部下は育たないとわかっていても、つい効率を考えると手や口を出してしまう。そうもらす管理者が多いのも事実だが、そうした不安や脅迫観念に耐えながら部下を信頼して見守ることも育成のためには必要なことなのである。
 人間誰しも失敗を重ねることで成長するわけであるから、任せて見なければ学ぶことさえできない。一般的に言って、管理者は部下の能力を過小評価している場合が多く見受けられる。こうした場合、部下たちはその不満を安全に変えることでバランスをとるようになり、何時しか向上心が萎縮してしまうことになる。
 そうした状況を見ている管理者は、更に部下たちの能力が低いと断定してしまい、心の中で戦力外通知をしてしまう。部下たちもまた上司の心を読み取るため、信頼関係の構築など望むべくもない状態にまで劣化してしまい、組織内のメンバーの業績に大きな差が生じてしまう。これは一体誰のせいなのだろうか。
 これまでの経験では、管理者自ら自分の対応のまずさを反省し、是正しようとする姿勢を示したという例にお目かかったことはない。ただあるのは正当化された両者の言い分だけである。したがって、現状では能力を発揮していないという現実だけが目に付くため、結局は部下の能力不足とやる気のなさが犯人にされてしまう。
 不思議なことに、一向に業績の上がらない部下たちを痛烈にこけ落とす一方で、解雇や減給に踏み切る企業も少ないことである。企業にとって業績を上げることを使命として雇用されている社員が、その使命を長年にわたって果たしていないにもかかわらず、好業績者の負担で給与を払い続けているというのは矛盾している。
 もしかすると、部下たちがこのような状態になったのは、自分にも責任があるのだということを認めている証拠なのではないだろうか。ただ、それを認めることで上司としての権威に傷がつくと思っているのか、それとも、役に立たない社員に対して温情的であったことを誇示するのが目的なのかは未だに理解できない。