部下に任せることの意義

 上司が部下を信頼して仕事を任せることで、目標が達せられるのであればそれに越したことはない。それが危ういからつい干渉に近いかたちで介入したり、場合によっては上司自ら部下の仕事をこなすことで帳尻を合わせるのだという管理者は多い。しかし、これでは何時までたっても部下は一人前に育たつはずがない。
 これはちょうど子供に自転車の乗り方を教えるときとおなじ理屈である。子供にけがをさせまいとして、親が子供の自転車を放さなければ、転ぶことがないので子度はけがをしないが、自転車の腕は一向に上達しない。本気で子供に自転車乗りを覚えさせようと思うのなら、ある程度突き放す勇気が必要であるはずだ。
 第一いたずらに子供にかかわっていると、自分本来の仕事が手つかずのままになってしまうことだってあるかもしれない。育てるということは子供でも部下でも原理は同じことであるから、ある程度のレベルに達したら突き放して、自己統制力に委ねる度量がなければ、部下の向上心までも萎縮させてしまうことになる。
 自由裁量権を手に入れることにより、部下は自分の能力が認められたと感じ責任感を高めるようになり、仕事に対する意欲も増し積極的に取り組むため、自分の想像力や判断力を駆使して仕事の達成感を味わう。こうした好循環が仕事を通じて人間の成長にも繋がるとすれば、上司にとっても願ってもないことである。
 任せるということの意味はこういうところにあるわけで、与えられた仕事をそつなくこなすことにあるわけではない。もちろん、現状では部下に任せると大失敗をしたり、後始末が大変だという状況にあることもあるだろうが、任せないから育たない、育たないから任せられないという不毛の議論を繰り返すだけでは何も生まれない。
 こうした議論になってしまうのも、結局のところ上司が部下の能力水準を見抜く力が不足していることによるものと思われる。実力より少し高めの目標を与えることで、部下は達成意欲をかきたてられる。そのほどよい刺激を与える能力が上司の側に欠けていなかったかどうかも点検してみる価値はありそうな気がする。