リーダーのタイプと職場満足度?その2

 リーダーとメンバーの間に存在する価値観の相違は、時に決定的な溝となり処遇面に反映されると、最早決定的なものとなってしまうが、こうした場合の最大の被害者は誰なのであろうか。まず、リーダーである職場の管理者は、笛吹けど踊らないメンバーを加害者と決めつけ、自分は被害者であることを疑わない。
 一方、メンバーである従業員は、価値観を一方的に押し付けるリーダーの下では、能力が発揮できないと嘆き、職場に対する不満をぶちまける。この論争は一旦始まったら、裁判でもおそらく決着がつかないであろう。しかし、企業という枠組みで考えれば、やはり最大の被害者は、会社ということになるのではないだろうか。
 もちろん、協働システムとしての組織体制を構築したのは、経営者であるから完全な被害者というわけにもいかないが、少なくとも、部門に投げかけられた目標を達成できなかったという意味では、リーダーもメンバーも被害者意識に浸っている場合ではない。むしろ、職務遂行責任を全うしていないことを悔やむのが先である。
 このように、目的と行動という本筋を基準にして判断すれば、それほど難しいことではないはずなのだが、双方の言い分は一歩も譲らず、自分の責任を省みる余裕など全くないというのが現実の姿である。こうした構造が、今はやりの職場のいじめ(パワーハラスメント)の温床になっていることは間違いないところである。
 こうした現状を打開しようという試みは評価できるとしても、ADRなどを活用して両者を調停により和解させようというのは抜本的な解決にはならない。何故ならば、理性的な解決策はすでに両者の胸中にあるはずであり、話を第三者に聞いてもらいたいという甘えの構図を自ら容認していることが明らかであるからだ。
 企業がその目的を達成するために、最も相応しい協働システムを作っているのであるから、これを円滑に動かすためには、当然リーダーとメンバーの間のコミュニケーションは不可欠なはずである。それが破壊されているという現実は、どちらの責任というレベルではなく、双方の共同責任であることは疑う余地がない。