リーダーシップの特性論

 フィードバックが組織力を高めるために必要であることには異論はないが、評価はリーダーの資質によっても左右されると考えれば、フィードバックもかなり異質なものとなる可能性は高い。古来リーダーの評価軸によって、フォロワーに対する評価が異なり、いわゆる出世が大きく左右されたという伝説を耳にする。
 戦国時代の織田信長や豊臣秀吉などといった人物をイメージすれば、確かにフォロワーの運命までも左右する魔力のようなものまで感じてしまう。しかし、そうした人物は、子供のころから自分がリーダーシップ能力に長けていることを認識していたのだろうか。そう考えてみるとドラマなどではその逆であることもある。
 ドラマの世界は別としても、リーダーシップというからには、そこにある種の組織が存在しなければならないわけだから、そのリーダーを受入れる器のようなものがなければ、リーダーも出現しないことになる。つまり、優秀なリーダーとは組織とのコミュニケーションによって、形成されるという性質をもっているのである。
 ではそうした組織はどのようにして生成されるのかというと、始めはバラバラに存在する価値観が、一定のベクトルに向いていることに気づいたとき、一つの利害関係集団が自然発生的に形成され、共通の目標を達成するためにリーダーを選択する。もちろん、リーダーの求心力が協働する組織をつくり上げる段階が先であることもあり得る。
 いずれにしても、リーダーとフォロワーの組み合わせがなければ、リーダーは生まれないし、リーダーシップという概念自体意味がないことになるから、ごく特殊な場合を除いて、リーダーの特性とこれを受入れるフォロワーの器がプラスに反応しあわなければ、リーダーの資質も宝の持ち腐れとなるはずである。
 すなわち、現実論でいうなれば、リーダーがどんなに優れた資質を持っていたとしても、組織のレベルがあまりにも低すぎたり、フォロワーとの価値観に距離があれば、組織目標を達成することができない。俗にいう、“名選手必ずしも名監督にあらず”などと言う言葉もこの類に属するものであろうと推察される。