成果主義人事制度のもとで従業員を評価する場合、成果を達成すべく努力したかという点は考慮するとしても、成果がもたらされなければ極めて低い評点になる。プロ野球などでも、ホームラン性のファールを何本打っても打率や打点としてカウントされない。つまり、こうした評価方法は、全てにおいてある種の合理性があると認識されている。
この考え方は、チームの監督に適用されているのが常であり、時には気の毒だと同情したくなるような解任劇も目の当たりにする。しかし、チームが勝つことを請け負う形で監督に就任した以上は、勝てなかったのは、「監督のせいではなくメンバーのレベルが低かったからだ」というのは言い分けに過ぎないというわけである。
この論理を企業経営に適用するとすれば、経営不振の会社を運営している経営者は、当然株主から辞任を迫られたり、場合によっては解任されることもありえるはずなのだが、何故かスポーツ界とは異なった対応が多いように思われる。しかし、近年では経営者が就任時に目標を示し、達成を公約するという場面も見られるようになってきた。
オーナー社長が多い中小企業では、この理論は当てはまらないかもしれないが、その場合でも、株主でもある経営者は何らかの形で経営責任を取らざるを得ない。すなわち、大企業経営者の受託者責任よりも重い責任を負っていることになるので、いわば、信託者である株主と受託者である経営者双方の機能を同時に保有しているに過ぎない。
リーダーシップについてはどうだろう。上記の論理でいうとリーダーもまた、組織の目標を達成することを使命としている以上、その目標が達成されなかった場合は、当然解任(配置換え)されてしかるべきなのに、こちらは経営者の場合以上に責任体制が希薄である。これは、リーダーにはそれほど期待していないということなのだろうか。
しかし、これはどう見てもおかしいといわざるを得ない。企業全体の目標が設定され、これを獲得するために組織された部門が、目標の達成に対して責任がないというのであれば、総合的な企業目標が達成されるはずがない。こうした構造を放置したままで成果主義制度を導入しても、リーダーやメンバーの成果は測定できるはずがない。
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