キャリアは個人の意思決定による

 キャリアとはとらえどころのない概念ではあるが、反面便利な言葉でもある。キャリアを誇張したとしても誰もそれを否定する資格はないし意味もない。キャリアが問われるのは、これから取り組もうとしている仕事への活用可能性を評価するときに、初めてキャリアの内容を吟味することになるのではないだろうか。
 キャリアとは自分自身にとっての自己評価であったり、それを活用しようとしているプロジェクトのリーダーの評価であることもある。そう考えると、やはり仕向け先をモニターしながら、自分自身の戦略的意思決定によりデザインされることになるというのが、一番落ち着きが良いことになるように思われるのである。
 キャリアは属人的なものではないが、実際には個人の能力と同一のものとして機能するわけだから、キャリアの形成は個人の責任においてデザインされるべきであり、属しているプロジェクトやそのリーダーの価値観とベクトルが異なったとしても、最終的な責任は個人が負うことになることに留意すべきである。
 長年勤務した会社を定年退職し、再就職した高齢者が第二の人生としてスタートした後、自分の中でくすぶり続けていた拘りに始めて気がつき、思わぬリーダーシップ能力を開発できたという例もある。この人の場合、これまでの人生で蓄積したキャリアがものをいって、ようやく大輪の花を咲かせたのかどうか本人も判断がつかない。
 初めて意欲に応えうる仕事にめぐり合えたと評価したい気持ちは当然あるが、そうだとすると、自分のキャリアに正面から向き合ってこなかったことになる。いずれにしても、その功罪は全て本人のキャリアで説明される。本質的に意欲のわかない仕事に長年しがみついてきたと考えるのでは、あまりにも失ったものが大きい。
 本人が心ならずも会社の方針に従ってきたため、自分のキャリアをデザインしかねたのか、会社がリスクをとったのかは百年議論をしても結論は出ないであろう。しかし、確実に言えることは、両者ともに資源の無駄遣いをしたということである。キャリア・デザインは個人の戦略的意思決定を抜きにしては語れない。