夢の共有化とは後づけのストーリーである

 NHKの「プロジェクX」などを見る限りでは、挑戦者たちのすさまじい執念が達成の裏側に潜んでいることは認めざるを得ない。しかし、これらのメンバーが次のプロジェクトに挑んだとき、必ず成功するとは限らない。この理論で説明するとなると、その場合は、「夢の共有化」を図れなかったということになるのであろうか。
 世の中では、実現できれば文字とおり「夢の実現」と評されるし、失敗すれば「夢のまた夢」という位置づけになってしまう。また、場合によっては、第三者から見れば実現された夢に見えても、当事者にしてみれば、ほんの第一歩に過ぎないと考えているかもしれない。つまり、どれが夢でどれが目標なのかは論理的アプローチからは特定できない。
 子供たちに、君の夢は何かと尋ねると、プロ野球の選手になって大リーグで活躍したなどと言ったりする。この場合、まず学校や地域の野球チームに入って選手として活躍することが第一の目標ということになるであろう。次の段階は、甲子園大会に出場すること、そこでよい成績をあげてプロ野球からスカウトされることと目標が高まっていく。
 こうした場合、一人の子供は、甲子園大会に出場することが夢である場合もあるであろう。そのときの子供の実力によっては、正しく夢というに相応しいこともあるかもしれないし、大リーガーも夢ではないかもしれない。つまり、夢とは現実や実現可能性との距離感によって相対的に使い分けられる概念なのである。
 このように言い放ってしまえば、それこそ夢のない話だと批判されるかもしれないが、少なくとも、モティベンションとの関係を説明するためには、いささか論理性にかけているように思われるのである。モティベンションの夢理論的に言えば、だからこそ「夢の共有化」つまり、同じグレードの夢であることが重要だということかもしれない。
 しかし、そうなると、NHKの「プロジェクX」などのように、現在のポジションが同じグレードでなければ、同じ夢は見られない(夢の共有化は難しい)ことになるから、やはり、単に夢を共有するといってもモティベンションを高める要因としては影が薄いように思われる。これは偉業を夢の実現に置き換えてその要因を分析しているに過ぎない。