モチベーション理論の限界

 物事を成し遂げるためには、達成しようとする意気込みとこれを支えるスキルやノウハウ、必要な知識などが欠かせない。反面、成果と動機は必ずしも対応関係にないことはよくあることである。例えば、ある成果を目指して研究に打ち込んでいるうちに、ふとしたことから思わぬ発見をしてしまったというような場合である。
 通常のモチベーション理論では、こうなりたいという意欲がまず心の中で発生し、それがやがて具体的な動機となり、次に行動となって現れる。この段階では、目標達成の可能性をこれまで体験した実績と得られた情報を分析し、行動を起こす段取りを心の中で組み立てる。つまり、第一段階の動機づけが行われる。
 人は動機がなれば動かないし、その動機が何らかの結果をもたらす以上、動機と成果は一般論としては因果関係にあるとこは理解できるが、その成果が当初目的に掲げたものであるかどうかを保証するものではない。人は最終結果を見据えてだけ動機づけられるものではない。モチベーション理論の限界はここにあるように思われる。
 元々動機とは目標が先に生じると限ったものではなく、漠然とした情報収集活動(それほど強い意識を伴はない)から得られた情報をヒントに、ある種の閃きが動機づけに寄与している場合だってありえないとは限らない。したがって、「意欲」と「動機づけ」でコンピテンシーを説明しようとするのであれば、「意欲の中身」に踏み込む必要がある。
 ハーズバーグの「動機づけ・衛生論」でもそうであるが、人を動機づけるのは、「やり甲斐」とか「生き甲斐」「仕事への興味」などであり、報酬などは高いほどよいものの、本質的には動機づけ要因とはならないとしている。しかし、前述のように、動機は私欲の賜物である以上、常にゼロベースで考えるのは適当ではないように思われる。
 例えば、何らかの事情で、自分本来の意にはそぐわないが、家族を守るためには安定した収入を得なければならないという場合もあり得る。そうした場合、本当は別にやりたい仕事があっても、とりあえず、目の前の仕事を人並み以上にこなすために要求されるコンピテンシーを高めるために行動するかも知れない。