柔軟性を持ったアウトソーサーに転身

 雇用の確保が安定した豊な社会を築き上げるためには不可欠であることは議論を待たない。したがって、雇用システムを流動的な市場原理に任せておくのは危険であるという議論は理解できる。しかし、雇用を創出する企業経営が従来の枠組みと断絶し、不連続で不均衡な時代を容認せざるを得ない状況に立ち至っていることも認めざるを得ない。
 こうした時代の変化を嘆いていても事態は何も変わりないわけで、むしろその変化を先取りすることで、時代の要請に即した労働力を身につけることが賢明である。終身雇用体制が崩れたとしても、労働の総需要にはそれ程変化があるとは思えない。現に団塊の世代が定年を迎えることで、労働力不足を懸念しているという事実がある。
 つまり、企業経営に役立つ機能を身につけていれば、雇用制度がどのように変化しようとも、労働市場からリタイヤを迫られることはないと思われる。経営側は不確実の時代を反映してアウトソーシングにシフトすることは間違いないのだから、受託企業側にはより専門性を求めるニーズが常に湧き出ていることになる。
 労働市場の流動化とはこうした状況の反映であり、決して労働者の安定的雇用をないがしろにしているものではないことを理解すべきである。政治がここのところに大きなメスを入れなかったツケが、かえって労働者の決断時期を誤らせたに過ぎないのであり、その責めを追及するよりも、まず、個人の体制を整えることを優先すべきである。
 経営革新に限らず、時代が大きく移り変わろうとしている変革期には、決断を鈍らせる要因が必ず存在する。例えば、セルフサービスが登場したときもそうであった。革新に目聡い経営者はすぐにこの方式を導入したが、保守的な経営者は抵抗を示したものの、結局はこれを受け入れざるを得なくなったし、パソコンの導入でも同じような現象が生じた。
 要するに既存の枠組みに支配されることを容認し、その見返りに安定を確保するか、市場の流動化を時代の要請と割り切って、自分の体制を整え独自能力に磨きをかけ、付加価値生産性を高められる人材として価値あるアウトソーサーに転身することを、自己の責任において決定する時期が来ていることを悟らなければならない。