変革期を迎えた終身雇用制度?その1

 雇用の場を確保することは、企業が果たすべき社会的責任のうちでも最大級の責任であると思われるが、従来型の終身雇用を死守することのみが、この責任を果たすことにはならないのである。中小企業経営者の中には、一定の収益力を維持できなければ雇用を守ることもできないと考え、雇用はその手段であると割り切っている人もいる。
 確かに、雇用を確保することが主目的で創業したのではないことも事実だが、一旦長期的に雇用関係が成立すれば、継続して雇用されることを願う労働者の立場にも理解を示す必要がある。ここに決定的な溝が生まれる原因が潜んでいるのであれば、この溝を埋めるための努力をすることも両者の責任ということになるはずだ。
 我々人間は、一度手にした権利やモノは失いたくないという防衛本能があるため、ともすると非合法な手段も辞さないという潜在的暴挙を抱えているため、本来あるべき姿や合理的な配分方法を採用する祭には、度々混乱が起きることも十分承知している。終身雇用制度なども、存続を望む労働者側と流動化を望む経営側の葛藤が繰り返されている。
 どちらの考え方が正しいかという捉えかたで、問題の解決を図ろうとするのでは未来永劫両者の溝は埋まることはないであろう。少なくとも、経営者が最近になって雇用の確保を疎かにしてもかまわないという思考に変貌したものではないことは理解できるし、生活基盤の安定化を願う労働側の危惧もまた当然のことと受け止められる。
 しかし、そうした議論をじっくりと交わす時間的ゆとりはなく、経済のグローバル化が急激に進展している現状を見るにつけ、こうした流れに抗する姿勢をとり続ける空しさもまた大きな不安となって顕在化しつつある。経営者も労働者も既得権を防御する立場を取ったからこそ、時代の流れを読み間違えてしまったのである。
 失われた10年といういわれ方をすることがあるが、この10年問はそれまでの歴史的時間とは比べ物にならないくらい密度の濃いものであったため、かつて一世を風靡し日本的経営が一気に陳腐化してしまったことに気づくのが遅かった感がある。勝ち組、負け組がはっきりした背景には「気づき」の速さが関係していると見るべきである。