企業文化は見えざる経営資源

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 企業文化は絶えざる経営革新の妨げになるという側面は確かに認められるが、物事には必ず両面があるものであるから、このことをもって企業文化が未成熟である歴史の浅い企業が有利であるという理由にはならない。思考様式が均質化されていることの強みを存分に発揮することができると考えれば、逆機能は取るに足りない議論である。
 中小企業の現場を観察するとよく認識できることなのだが、同業種で同規模の企業同士が同地区をテリトリーとして存立している場合、経営成績に大きな違いがあるというのは稀ではない。創業の時期や資本力も異なるので同一レベルで論じるのは適当ではないかもしれないが、少なくとも規模が同一であれば投下している資本も同等であるはずだ。
 しかし、長年の積み重ねが天地のさほどあるとすれば、どのように解釈すればよいのだろう。こうしたときの経営者のコメントを聞くと、一方は戦略の妥当性を強調し、他方は環境の変化(悪化)を強調する。大変失礼な言い方だが、第三者的に見れば経営成績の差ほどには経営戦略に差があるとは感じられない場合もある。
 元々経営は解のない方程式を解くようなものだから、運不運も実力のうちと考えてもそう乱暴ではない。何故ならば、これほど学問として確立されている経済学や経営学をもってしても、消費者が購買を本当に実行するかどうかを言い当てることができないからだ。上記の企業同士にも運不運が作用しなかったという証拠はない。
 しかし、両社の経営者の自信たるやそれこそ天地の差がある。それは科学的には解明できないが、少なくとも成功体験の大きさと相関が高いような気がしてならないのである。つまり、何らかの要因がインパクトになり、ある時期に事業家として成功したことを実感できると、それが実力とは無関係であるとは解釈する人は極稀である。
 これで企業文化を全て説明できるとは思わないが、経営者としての行動規範を確立し、この規範に基づいて行動したことが、成功の要因であると考えるのはむしろ自然なことであるとすれば、これが思考様式として根づくこともまた自然なことである。これが企業文化たる所以であり、企業の強みとなると見てさしつかえないのではないだろうか。