誇り高き中小企業の存在を世界にアピールしよう?その2

 ここで誤解してはならないことは、主張することと我侭を通すことの違いである。国際交流とはある意味で異文化のぶつかり合いでもあるわけだから、時には価値観の隔たりからくる違和感を味わうこともあるが、そこを乗り越える努力なしに力任せで主張だけを繰り返すだけでは地球規模での共存は望むべくもない。
 共存を望みながら共存を否定する自己矛盾に気づくべきだ。例えば、イグサやワカメなどがセーフガードの対象として論議を呼んだことがある。この場合に関連業者や地方自治体の対応はいただけない。まるでエゴ丸出しだからである。前述したように、中小企業の存立基盤は、低生産性を認め合うことの上になり立っている。
 しかし、この構造を死守することが消費者の真の利益に繋がるという確信があってこそ言えることであり、企業の存続のためにだけ消費者が存在するわけではないことを反省すべきである。つまり、企業の存立基盤の真ん中には常に消費者が存在しており、その消費者の行動は企業の提供する価値に依存していることを忘れてはならない。
 もっとも、上記の騒動の最中においても、自社が提供する地域の特産品として付加価値をアピールし、消費者の支持を受けている業者もあった。こうした自助努力によって企業の活力を自ら生み出している企業には敬意を表したいが、単に既得権にしがみついているだけで、制度的恩恵を期待している企業には組みすることはできない。
 IT化の進展により、予想をはるかに上回るスピードで企業経営のグローバル化が進んでいるため、中小企業の中には変化のトレンドを掴みきれず、対応に苦慮しているケースもかなり多く見られる。また、経営革新にも取り組もうとしても経営資源に限界があり、身動きできない状況に追い込まれている場合もある。
 こうした企業群は緊急避難の連続であり、時には自社の支持母体である消費者の利益すら視野から離れてしまう場合もあり得る。こうなると、小手先だけの叱咤激励や繋ぎ融資などでは再生は難しい。こうした事実に目をそむけ、相変わらず金融政策で塩漬け企業を増大させているのは消費者のためにも中小企業のためにもならない。