誇り高き中小企業の存在を世界にアピールしよう?その1

 団塊の世代に対する企業の姿勢は、高度の技術やノウハウを持ったいわゆる人財は不足しているので、定年により社外に流出するのは困るが、それ以外の人員はどちらかというと過剰気味であるといったところだ。消費が低迷しているので表面的には中小企業も同じ言い方はしているものの、本質的にはかなりの違いがあるようだ。
 いうなれば、大企業は大きい桃は欲しいが小さい桃は昔からいらないのである。といっても、前述のようにそうしなければならない宿命にあるのだが、これに対して中小企業は、収納スペースが不足しているので今は必要としていないだけである。現に、高齢化が異常に進んでいる業種では、他業種に先んじて定年延長や再雇用制度を打ち出している。
 綱引き型の人材争奪戦はこの辺で終わりにして、お互いの拠って立つ使命を確認し合うことから始めてはどうだろう。もちろん、中小企業性分野とそうでない分野の区分は必ずしも明確ではないし、合理化することで大企業性分野に組み替えられる可能性はある。現にこうした兆候は随所に現れていることは認めざるを得ない。
 しかし、雇用の場を確保することで所得の安定が保たれるとすれば、この構造を破壊し付加価値生産性を高める選択をすれば、少数の大企業では抱えきれない余剰人員が発生し、結果的に購買力を低下させることになる理屈である。国民にとってどちらが得かという物理的な議論もさることながら、日本人堅気にも十分配慮することが肝要である。
 各種の統計を見ると、日本人ほど働くことに喜びを感じている人種はなく、生涯現役を望む人も多いという特徴がある。生活苦が定番であった昔と異なり、社会保障制度が曲りなりに整った今日においても、働くことを希望するけなげさに敬意を表すことこそ、企業が果たすべき社会的責任の最たるものではないだろうか。
 中小企業者はこのことを深く胸に刻み、誇りを持って付加価値生産性の低さを甘受していることを世界に向けてアピールすべきである。合理主義とは無駄を省くことであるとすれば、精神的な価値観や共存志向も含めて無駄を測るべきであり、物質的な面からの価値判断だけではない価値基準があることを力説すべきである。