中小企業性分野を奪還しよう?その1

 2007年5月に経営学者ジェームズ・Cアベグレン氏が81歳でなくなったという。同氏に関して、神戸大学教授の加護野忠男先生が日経新聞の経済教室で話されていた。その中で印象的だったことは、氏は最後に日本国籍をとられたという下りであった。米国の国籍を抜くのに3年もかかり大変苦労されたというのである。
 「米国の国籍は世界中の人々が望む最も魅力的なもので、それを捨てようとするのは悪事を働いている人物に違いないという信念を持つ頑固な合衆国政府を説得する難しさ、悪事を働いていないということを証明する絶望的な難しさ」と語ったという。この記事を読んで何かが吹っ切れたような気がしたのが思い出される。
 アベグレン氏は、年功序列、終身雇用、企業別組合という日本の伝統的制度を評して、欧米に比べ遅れているのではなく、違っているだけだと主張したことでも知られているが、付加価値生産性が低い中小企業を中心とした非製造業についても、同じことが言えるのではないかと考えるようになったのである。
 つまり、付加価値生産性といった場合は、企業のグレードを象徴するような響きがあり、この指標が低いと企業価値そのものが低いというイメージがある。しかし、日本人の伝統的価値観の中には、付加価値の中で人件費がある程度賄えれば、利益を多少犠牲にしたとしても企業として存続する価値があるという思考様式があったように思われる。
 つまり、雇用の場を確保することが企業の社会的責任の一つとして認識されていたということである。大企業の中にもそうした意見を持っている経営者は現に存在するし、あながち的外れではないような気がする。そうした発想からすると、ある程度の収益力があれば、付加価値生産性が低くてもそう蔑視されるべきではない。
 むしろ、打たれ強い伝統的構造として誇るべき面もある。アベグレン氏の国籍取得に関する苦労話を読んでいてふとそんな気がしたが、少しこじつけであると言う批判があるかもしれない。それはともかく、この構造を経済活性化のための元凶と見るか、それとも日本伝統の助け合い精神の象徴と見るかは、今後の企業活動に大きく影響してくる。