企業に依存し過ぎたキャリア形成

 2002年度に(財)高年齢者雇用開発協会が行った「企業の高齢化諸施策の実態に関する調査研究報告書」によると、継続雇用を実施していない企業がその理由として、「全般的に人員が過剰:40.5%」、「対象者の職場や仕事が確保できない:40.9%」、「対象者の能力が低下している:40.9%」(複数回答)をあげている。
 一方、定年後の高齢者に新たな雇用機会を設けている企業は、その理由として「技術や知識・経験など活用できる:77.1%」、「比較的賃金が安く活用できる:49.5%」をあげている。これは、高齢者に対する評価というよりは、業績や人材不足の状況を表しているもので、企業のご都合主義的体質を如実に物語っている。
 しかし、高齢者自身も企業のドライさに負けず劣らずといった姿勢もあったように思われる。例えば、団塊の世代に限ったことではないが、キャリア形成の一環として各種の資格取得を企業は奨励してきた。こうしたときの従業員の対応を見ていると、企業や国が受講料などを助成するならば挑戦してもよいという姿勢が窺われた。
 夫々の経済的市事情もあることなので一概には言えないが、自分や家族の将来に関わる重大な意思決定を行うにしては、あまりに他人任せではないのだろうか。定年退職で企業を去るとき、モノであれば社外に持ち出すことは横領になるが、知識やノウハウ、資格などは、一身専属のものであるから企業に残すことはできない。
 こうしたドライな側面が、自分の将来を左右するキャリア形成を企業任せにしてきた要因でもあったのではないだろうか。その結果が、企業にとって現在必要かどうかという基準のみで再雇用するか否かを決められる。そのときになって、自分の姿勢は棚に上げ企業の対応だけを避難するのはあまりにも身勝手である。
 こうした惰弱な体質づくりを助長した責任は国にもある。というのは、キャリア形成とは本人の自助努力が基本でなければならないから、本人のやる気を引き出すための呼び水的ものとして助成するのが本来の役割である。ともあれ、最大の被害者が自分であることに変わりはないので、まず謙虚に反省する姿勢を示すことを提言したい。