長寿社会における共存モデルとは如何なるものか

 我々がこれまで目指してきた社会は、モノの豊かさを手に入れるために、全てを犠牲にすることをいとわない猪突猛進型のモデルであった。こうした営みに疑問をもたなかったわけではないが、立ち止まると取り返しがつかないくらい、遅れてしまうことに恐怖感を抱き、その分モノで武装することを選択してしまった。
 果たせるかな、居住空間は物置と化してしまい、足の踏み場もないくらいに膨れ上がっているのに、また買い足してしまうという「買い物症候群」陥ってしまっている。モノについてばかりではない。「時間の節約症候群」も患っている。例えば、自動で閉まるエレベーターの扉をボタンで閉めるなど、笑うに笑えぬ光景が日常茶飯事におきている。
 また、主婦の買い物行動を見ても、スーパーマーケットなどでは、できるだけ入り口に近い場所に車を止めることに躍起となっている。その副産物が運動不足による成人病を引き起こすという認識を持っていながらである。こんなにしてまでお正月を早く引き寄せた結果が、定年という崖淵では泣くに泣けないのではないか。
 こうしたライフスタイルに疑問を投げかけたとしても、少数派のささやかな抵抗では、社会のインフラは何も変わらない。存在感もありそれなりのパワーを持った企業家がリーダーシップを発揮して、パラダイムチェンジを呼びかけ、建設に向かって歩き出さなければ、ハッピーな長寿社会を謳歌することはできないのである。
 それでは、長寿社会における共存モデルとは如何なるものなのだろうか。例えて言うならば、新幹線のスピードと在来線のゆったり感を組み合わせた、木目細かなネットを張り巡らすというのはどうだろうか。つまり、現在のスピード社会とスローライフ社会をドッキングさせて、若年者も高齢者も自由に行き来できる仕組みにするのである。
 といっても、物理的なインフラを整備するというのではなく、お互いのライフスタイルを尊重しあうことで、現在のインフラを有効活用することは十分可能である。要は、真の豊かさとは何かについて考える思考様式を、社会に根づかせることである。700万人とも言われる団塊の世代がその意思表示を待ちわびている。