高齢社会を歓迎するかどうかを選ぶ資格は誰にもない

 高齢者雇用安定法が施行されて20年になろうとしているのに、企業はもとより一般市民にもこれを謙虚に受け入れる態勢が確立されていない。同法施行当時は定年制の主流は55歳であったから、60歳に引き上げることが大きな目的であったが、定年後65歳まで継続雇用を奨励することはほんのお題目程度であったような気がしている。
 企業側としては、当然迷惑なこととしか受け止めていなかったので、定年退職者を継続して雇用することによるデメリットをとうとうと述べることで、定年延長や継続雇用制度の導入を拒んでいた。個別企業の事情を考慮すれば至極最な理由ばかりであったが、全体としての最適に言及した議論は全く聞かれなかったと記憶している。
 しかし、この議論の背後には次のような打算が潜んでいたような気がする。すなわち、当社では高齢者を継続して雇用すると、企業の活力が低下するのでお断りしたいが、他社で再雇用されることは消費の拡大にも繋がるし、社会保険料などの法定福利費負担も抑えられるので大変結構なことだということだ。
 この考え方は、市場における価格競争などにも一脈通じる考え方である。つまり、他社が値引き販売に走らないという前提に立てば、当社の低価格販売は売上の増加に繋がるはずだという思考様式である。これを、相手の力を利用して戦う戦略の極意とみるかどうかは別として、少なくとも長期的安定を保証するものではない。
 継続雇用制度の導入が遅々として進まなかった理由は、将来の漠然としたメリットに対して、先行投資をすることに抵抗があったからだと見ることもできるが、やはり上述のような稀釈理論的な考えが支配していたような気がする。しかし、これを批判するのではなく、当たり前のことと受け止めた上で対応策を考えなければならない。
 人は自分の意思で老いるわけでもないし若年者にもやがて老いが訪れるわけであるから、若年者も高齢者も自分自身の姿なのである。こうした前提に立てば、高齢社会の到来は自分の長寿を願っている全ての人々にとって、サクセスストーリーにほかならない。人の一生をビジネスチャンスと捉えることが、経営目的の根底になければならない。