少子高齢社会の到来を脅威と見るか、機会と見るか

 昨年の8月にホームページ立ち上げ、同時にこのブログを展開してきたが、昨日で丁度365回目を迎えることができた。この間主に中小企業の経営戦略を中心にこれまでの体験を披露してきたが、大まかな経営課題についてはほぼ一巡したと感じている。そこで本日からは、新たな切り口で少子高齢社会の戦略をテーマに投稿を進めることにした。
 昭和22?24年の出生者数がその前後と比べ突出して多いことから、「団塊の世代」と呼ばれている。「少子高齢化」が新聞やテレビで話題になるときは、決まって年金の財源不足や労働力不足が主題になっているが、本当にそうした捉え方が正しいのだろうか、と疑ってみるのが企業経営者の発想ではないかという気がしてならないのである。
 そもそも、「少子」と「高齢化」をセットにした考え方は、「高齢者が増加して年金の財源が不足してくるのに、将来の支え手となる子供が少なくなることが心配だ」という危惧感が前提となっているように思われる。つまり、高齢化だけで大変なのに、これに追い討ちをかけるように少子化も同時進行していることを重大に受け止めているわけである。
 たしかに大正時代の総人口は、55,963千人で65歳以上の人口は2,933千人であったから、高齢化率は5.2%(大正9年)であったのが、平成22年には総人口127,473千で65歳以上の人口は人28,724千人(高齢化率:22.5%)と推計されている。つまり、総人口は2.28倍に増加しているが、高齢化率は4.3倍になっている。
 しかし、平均寿命が倍近くに延びていることを考えると、現在64歳以下としている就労人口を69歳以下まで引き上げることはそれ程困難なことではないと考えると、実質的な高齢化率は10%台前半の水準(昭和60?63年頃)を保てることになり、少なくとも年金の財源不足の問題はクリアできるのではないだろうか。
 このように考えれば、「高齢化社会」ではなく「長寿化社会」と捉え、ハッピーな共存社会を築くことが企業家に課せられた重大な責務であり、同時に願ってもない大きなビジネスチャンスと捉えることもできるが、「少子化」は個人の意思の問題でもあり、切り札となる抜本的な解決策は打ち出しにくいため、市場性を見出すのは難しい。