旧来型の管理者を鍛えなおすのはほぼ不可能である

かなり冷たい言い方であるかもしれないが、経営環境の変化に対応できない旧来型の管理者を、一から鍛え直すのはほとんど無理である。といっても、こうした管理者を全て切り捨てることを奨励しているわけではなく、むしろ、突き放すことによって喚起を促すことで、潜在力を引き出すのが効果的だと考えている。
 というのは、管理職にある以上は環境の変化を肌で感じていないものはないはずであり、そうした変化に対応することがどれだけ重要な意味をもつかも熟知している。その上でカビの生えた古巣も捨てがたいという一種のノスタルジーがアクティブな行動にブレーキをかけているに過ぎないように思われる面もある。
 昨今何かと話題に上っている子供の教育問題もネッコはこの辺にあるような気がする。だいぶ昔の経験だが、店の前で泣き喚いている就学前の子供とその母親に遭遇したときのことである。どうやらこの子供、オモチャを買ってくれなければ道端の水溜りに横になると母親を脅迫しているようで、親もおどおどとうろたえているのである。
 母親は少し当惑気味では会ったが、案の定オモチャを買い与えることで事態を収拾する方策を選んでしまった。母親に言わせると、この子はそうしないと絶対に納まらないのでやむを得ず、ついつい買い与えてしまうというのである。しかし、私に言わせれば、どの程度泣き喚けば買ってもらえるか経験上よく知っているからではないかという気がした。
 つまり、この子供は単なるダダッコではなく、学習能力が優れているため、要求水準に合わせて泣き方を調整しているに過ぎない。こうした場合、「そこは車が通るので危ないから、向こうの路地の水溜りにしなさい」というぐらいの対応をすれば、期待効果が薄いことに気づき、優れた学習能力に磨きがかかるのではないだろうか。
 企業の管理職とダダッコを同列で考えるのは、不謹慎極まりないとおしかりを受けるかもしれないが、原理は全く同じなのである。自分を変えようとしない管理職は、経営者が発しているメッセージにより一種の抗体ができてしまい、何もしないことに対する言い分けを、正当化すれば足りるという経験則から抜け出せなくなってしまう。