自ら学び、能力・人格・人間性を高める努力をしていますか

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人間死ぬまで勉強であるとは、誰の言葉かは知らないがまさに真理である。リストラに遭った元部長が再就職先候補の面接で、何が得意ですかと聞かれて、「部長ならできます」といったという話があるが、これは自ら学ぶ姿勢がなかったことを如実に表している。部長ができないからリストラされたという反省がないのである。
 人間は努力をすれば必ず能力が伸びるとは限らないが、何らかの学習効果は期待できる。その証拠として十分かどうかはわからないが、出身学校や学歴と現在の社会的地位とはそれほど一致していないところを見れば、能力の伸長や運だけではなく、経験を積むことで学んだ結果が大きくものをいっていることは確かである。
 特に、好く練られた人間と評される人は、いわゆる苦労人で人の痛みが解かる人間で、多くの人から尊敬される。人格や人間性といったものは、生まれながらの本性は変わらなくても、学習と経験を積むことにより作り上げられてくるものと思われる。中小企業の経営者の中にはこうした惻隠情を備えたお手本は多く存在する。
 人間性とは、言葉の響きからすると聖人君子をイメージするが、企業経営という切り口からすると、経営哲学をもっている人に近いような気がする。もちろん、聖人君子であるに越したことはないが、競争の激しい市場競争を生き抜くためには、人間性を基盤としながらも、環境変化に適応できる柔軟性が求められる。
 このような経営者や管理者が存在する一方で、鳥なき里のコウモリになりさがり、権力だけはやたらに振りかざすが、指導力が全く伴わず部下の能力にぶら下がっている。こうしたタイプの管理者も結構多いのも事実である。これは、その管理者の資質によるというよりも、こうした管理者を輩出した組織の責任でもあることを認識しなければならない。
 人間は本来怠け者ではなく、進んでリスクをとり責任を果たすことに挑む性質があるのに、こうした初心を忘れてしまうのは何故だろうか。現在の枠組みが所与の条件として与えられると、努力もこの環境に適応することが一番の学習と感じてしまい、これを打ち破るための工夫をしようと思わなくなってしまう。