企業を私物化することなく、公私のケジメをつけて経営に当たっていますか

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公私のケジメをつけるとは、公私混同しないということである。この場合の公とは組織の利益のことであり、私とは個人の利益や動機を意味するといわれている。組織の一員としての意思決定は、全て組織の目的を達成するためのものでなければならないが、組織の利益を犠牲にして個人の利益や動機を優先させることを公私混同という。
 封建社会ならいざ知らず、近代経営における組織においては、組織の意思決定権は人にではなく職位に対して与えられているものである。したがって、職位は公私混同をさけ組織の目標達成のために行使されるべきものであはずであるが、現実には職位にある人がその職位を利用して個人の利益のために権限を行使している例が見られる。
 例えば、総会屋に対して利益供与することは、組織の利益を守るための意思決定のように見えるが、実は職位にある個人の利益のために行動しているに過ぎない。このような公私混同は水面下では常態化しているため、株主代表訴訟の提起を簡素化するなどしてステークホルダーを守る必要が生じているのである。
 公私混同が起こりやすい土壌は、日本的経営に色濃く残っているからである。上述のように職位に与えられた権限は、組織の利益を獲得するためにのみ行使すべきものなのに、その命令権を私用のために行使することはよくある。はなはだしい場合は、組織と個人で自己取引をお手盛りで行ったり、競業避止義務に違反するなど目に余る行為もある。
 オーナー経営者の場合は、このような乱脈経営を行っても最終的な責任は経営者自身が負うことになるので、これを抑止する必要はないなどという意見もあるが、そのツケが他のステークホルダーに回されることは確実である以上、組織としてはこのような暴走行為は決して容認することはできない。
 企業を私物化することの恐ろしさはまだある。典型的な同族会社の場合でも、それまで放置されていた傍若無人な振る舞いが、何かのきっかけで一旦火を噴くと、骨肉の争いに発展してしまい、裁判により決着を付ける結果になるが、心の傷は親子兄弟ばかりではなく、甥や姪まで巻き込み泥沼化してしまう。