認識ある無責任とは、官僚組織などによく見られる退廃的で無気力な態度のことであるが、訓練された無能とも呼ばれている。具体的にいうとテレビの刑事ドラマに出てくるあの縄張り争いが典型的な例である。すなわち、県警と所轄署が対立した時に所轄署の署長などが熱血漢の部下をたしなめるあのシーンこそ認識ある無責任そのものである。
本来の目的は市民の安全を守ることであることを十分認識していながら、現実にはそれよりも組織の安定を願った行動をとる。ドラマの中では熱血刑事を引き立たせる演出として評価できるが、もしも企業の現場で顧客満足よりも組織の安寧を優先させた行動が横行すれば、組織自体が崩壊してしまう。
企業の現場ではこれほど露骨ではないにしても、それだけにもっと陰湿で根深い葛藤が渦巻いていることも決して珍しくはない。こうした状況は決して望ましくないことは論を待たないが、これを個人の人格やモラールの問題として捉えたのでは、解決は一層遠くなるように思われる。
このような組織の疲弊はどのようなメカニズムで起きるのだろうか。個別の問題に遭遇する度に思うのだが、認識ある無責任は決してやる気のないヒトが陥る現象ではなく、むしろ優秀で正義感の強かったヒトにみられる。これは賢いがゆえに指導力が求められ、真摯に取り組んだことが、ある種の挫折感とあいまって出来上がった態度なのである。
人間は誰でも与えられた環境を受け入れざるを得ない状況を悟ると、次にはその環境を所与の条件として最も快適に活動できる体制を工夫する。そのときは、いわゆる優秀なヒトほど周りの雰囲気に気配りをし、結果として、本来の目的達成のために存在している組織を、組織の安定が目的達成のためには不可欠なものと論理を入れ替えてしまう。
残念ながら、こうした組織を一掃する手立ては持ち合わせていないが、かといってこのまま放置することも許されない。現在生き生きとしている企業にもそれなりの曲折があったと考えた方が、肩の力が抜けて改善意欲を充電しやすいような気がする。その場合重要なことは、個人の資質に頼るのではなく組織の仕組みに重点を置くことである。
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