感情の力にアクセスする{その1 消費者の感情にアクセスするのを妨げる「言葉に表せない」の壁}

 

ここからは、これまで学んだ感情的動機づけという視点から、消費者の感情を理解したうえで、マーケティングを実行する具体的方法に目を向ける。しかし、消費者の感情に訴える会話を交わす重要性は解っても、それを実行するのは簡単ではない。心と心の対話を始めるための最大の壁は、消費者本人がしばしば、自分を行動に駆り立てている感情の力に気づいていないことだ。

例えば、自分を動かす感情の力について話をしようと思ったとしても、自分がどんな感情状態にあるのかわかっていないことが多い。人がどう感じているかを知ろうとする研究者にとっては厄介なことに、感情に誘発される行動は無意識に生じる性質があるため、「言葉に表せない」の壁ができる。つまり、ほとんどの状況において、消費者は自分がどう感じたがっているのかわかっていないため、その時の自分の感情を「言葉に表すことができない」。

研究者にできるのは、なぜ感情がまず無意識の領域に宿るのか、その理由を推論することぐらいだ。しかし、意識的・合理的な思考が脳の活動のほんの一部でしかないことはすでにわかっている。イリノイ大学の認知・精神心理学研究室のエマニュエル・ドンチン博士は、こう書いている。「認知活動の大部分は意識されない活動である...99%がそうだといえるかもしれない。どれだけの行動が無意識に行われているかについては、直感的に理解できないのではないだろうか。

頭の中で合理的な情報処理をする場合でさえ、その大部分は無意識の領域で行われている。もし複雑な情報処理作業のすべての要素を、意識的に系統立てて整理し、順番に行動しなければならないとしたら、私たちは自分の敷地から一歩も出られないだろう。もちろん、車で高速道路をすいすい走りながら、同乗者とおしゃべりを楽しみ、お気に入りの歌を歌い、意識的に脳を使って一日の戦略を考えることなど、もってのほかだ。

つまり、無数の小さな判断を計算して、私たちに多くの行動をとらせるのは、潜在意識の仕事になる。それだって、私たちの内面で実際に起こっていることのほんの僅かな部分でしかない。一日の間には、自分で気づかないうちに、信じられないほど多くの微妙な判断や評価を積み重ねている。その膨大な数を考えれば、なぜ私たちの言動や思考のすべてが意識の及ばないところで行われているかも容易に想像できるだろう。

感情についても同じことがいえる。感情脳の活動をつかさどる脳の辺縁系は、意識的な活動をつかさどる前頭葉とは別個に作動し反応する。感情的なプロセスの多くは、意識レベルには上がってこない。最近になってこの脳内システムが、「不合理性を」テーマにした多くの書物で取り上げられるようになった。

人は自分でも気かつかない感情に影響されて行動を起こしていると説明するものだ。近年では、「行動経済学」と呼ばれる研究分野で、意思決定が非合理的な感情の力にどう影響されるかが研究されている。この重要な理論について、まずどれか入門書を読んでみたいという方は、ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』をおすすめしたい。

また、私たちマーケターが消費者の感情に直接アクセスするのを妨げるもう1つの壁に、「言いたくない」の壁がある。その動きを説明しよう。私たち人間は、"本心ではないことを口にする能力"がある。科学者が「戦略行動」と呼ぶので、就学前のこどもたちなら「ずるいこと」、法廷なら明白な「詐欺」の烙印を押されるような行動の、婉曲的な呼び方だ。

進化生物学者や文化人類学者の説明によれば、自分の本当の感情や動機を隠したり、歪めて伝えたりすることは、進化の過程で優位に立つための能力で、高等な霊長類、特に私たちが毎日鏡の中に目にするタイプの動物に特徴的なものだという。人間社会の対人関係を円滑にするために、自分がどう感じているかを頻繁にチェックしている(あなたはこれまで、誰かからプレゼントをもらって、その相手の目の前で開いたことはあるだろうか? 

 それが気に入らないものだったときにどう反応しただろう?)。自分自身のあまり受け入れたくない、あるいはあまり褒められない感情を他者から隠すことを学ぶのは、人が社会的に成熟するために必要なことの1つとみなされる。気まずい思いであれ、くつろいだ気分であれ、ほんのちょっとした感情の動きでさえ、それを仕事ではじめて会った人との間で話題にしたくないと感じるのも、それほど驚くことではない。