これと似たような性質に「平均」がある。所得や消費量、学校の成績など多くの場面で「平均」はどのぐらいかが興味をもたれる。やはり、これも人並であるかどうかが心配であることの表れである。平均と同じような意味を持つものに、「標準値」や「中央値」などもあるが、これには実際に数値で算出されると全く異なることが多いが、やはり気になる。
平均は、母集団の総計を総人数(個体数)で割って算出したものであるから、その平均値だけでは、その実態を把握できないので、標準偏差などを算出してポジションを測定しなければならない分けであるが、とりあえずは、平均に近いところにあることを確認すると、「人並である」ということで安心するが、一抹の不安が残ることも確かなところである。
社会的証明の原理は、ある状況下において自分の判断より他人の判断に影響を受けるという原理であり、平均に引き寄せられるというのも、ある意味この原理を裏づけるものである。しかし、この大雑把な判断(大勢の判断)は正しいとは限らない。つまり、社会的証明や平均には、確かに人の心に強い影響力が働くが、反面大きな落とし穴も存在する。
一つは、「みんながやっている」ということを自分の行動の指針にしてしまうため、自分に確信が持てない、曖昧な状況のとき、他人がどのような行動をとっているかを確認して、他人の行動が正しいと判断し、これをまねて行動をしてしまう。例えば、今流行しているファッションが自分には似合わないのではと思いながらも、つい購入しまうことがある。
もう一つは、自分と似ている人の行動に強く影響を受けるということである。友達がみなやっているので、何のためらいもなく「危険ドラッグ」の使用に手を染めてしまうなどである。このように、マーケティングに活用すれば売り上げ増につながるが、活用方法を一つ誤ると、反社会的な行動に誘導してしまう作用もあることから、注意する必要がある。