データマイニングを活用する心

 日々の取引からもたらされるデータは確かに玉石混交で、活用の方法を誤れば宝の持ち腐れになってしまうことになり兼ねない。しかし、現実には社内に蓄積されたデータを効果的に活用するにはどうすればよいのかは結構難しい問題であり、多くの企業ではCRMを導入しようという動きはあるものの中々うまく活用できないという現状が窺われる。
 長年取引してきた企業から種々の提案を受けるという場面は多いと思われるが、果たしてその提案は的を射たものになっていただろうか。少なくとも消費者の立場で評価してみると、かなり的外れだと判断せざるを得ない提案の方が多いような気がする。例えば、一日に何度も贈られてくるメールやファクスはどれも的外れである。
 データを解析する立場からすれば、あくまで確率的なものなので、特定の個人にぴったりとフィトするものではないということになるのだろうが、相も変わらず毎回的外れの提案を繰り返しているだけでは、自分をどのように理解しているのかさえ疑わざるを得ない場合もあり、データマイニングの威力を疑いたくなることもしばしばある。
 翻って、自分を分析者としての立場において、これまでの提案の根拠を検証してみると別の結論になるから不思議である。データの洪水の中から意味のある情報を取り出すことは確かに困難ではあるが、時には手ごたえを感じることも正直あるにはある。それは、顧客がどれくらい似ているかどうかを測定してみる時に感じることである。
 それは、売上高の内容を量と質、品目、業種などを基準にして、同じタイプの顧客をセグメントすることで、かなりの程度明らかになるからである。そうした分析の中から、ある商品を購買する顧客は別の商品も併買している。同じタイプの顧客と判定されたのに、購買パターンはまるで違う場合もあり、解釈に苦しむこともある。
 こうした悩みに直面するのは、ある意味で分析者の宿命であり、そこを突破することが本当の使命であると考えなければ、挑戦する意味はないのかもしれない。この壁を乗り越えられるかどうかは、更なる情報の収集と顧客とのコミュニケーションしかないと私は考えている。データの背後にある「心」を捉えなければ、ミスリードをしてしまう虞がある。