デリバラブルとドゥアブル

 デリバラブル(deliverables)とは、deliver(お届けする)とable(できる)を合成した言葉で、「もたらす気になれば、結果としてもたらすことのできること」といいう意味だそうである。一方のドゥアブル(doables)は、do(する)とable(できる)を組み合わせたもので、結果はともかく、実際にできるという意味で使われる。
 できなければ好結果をもたらすわけがない。したがって、「できる人である」ということをまず確かめ、将来に繋がるであろうと思われる人材を登用するというのが原則である。それは、入学試験でも入社試験でも同じ論理であるが、「結果をもたらす人」であることを保証するものではない。しかし、「できない人」をあえて登用する理由も見つからない。
 結局人事管理上からいえば、「できる人」をこれまでのキャリアを参考にして選考・採用し、「結果をもたらす人」に育て上げるためにはどうすればよいのか。これがリーダーの課題であり、組織行動の枠組みの問題でもあるわけだが、インプットとアウトプットの問題に置き換えてみると解るように、結果を事前に予測するのは極めて困難である。
 しかし、企業の中にはこの難しさを盾にとり、「できること」はいいことだという漠然とした評価軸で捉え、取り敢えず採用するという投槍的な人事制度もあるようだ。こうした企業には、かくありたいという明確な目標も乏しいためか、採用のために浪費した費用が回収できず、人員の削減という形での清算を余儀なくされる。
 こうした一連の問題は、一見人事ないし管理者のリーダーシップの問題のように見えることもあるが、根本的な原因は、経営戦略とトップのリーダーシップの問題である。将来の可能性から逆算して「できる人である」かどうかを判断するのであるから、「わが社の将来像」が明確になっていなければ、おざなりになってしまうのは当然である。
 その結果がどうなるかは創造に難くない。経営者側からすると、まさに笛吹けど踊らずという感想だが、従業員側からすると、わが社には戦略がないとひたすら嘆く。この嘆きの大きさと、経営成果の大きさは反比例していることが明らかなのに、目標達成に向かって協働する姿勢は一向に示さない。いや協働するすべを失ってしまったのである。